人間は認知する生き物です。起きている間、人間はずっと認知し続けているわけです。
その認知を支えているのは自分の身体であり、確かに人間は目の前の視界を顔についている目で知覚しているわけですが、実際には身体全体で知覚しているわけです。
そのような知覚の作用によって人間が環境を捉えているわけです。環境の中に人はいるようでいて、自ら知覚によって環境を捉え、認識し、作り出しているわけです。
身体全体は、身体そのものだけに留まらず、身体から離れたエリアまで広がっているように感じられます。
自分と環境との境目は、単に外皮である皮膚ではなく、もっと広いエリアであり、自分自身それを明確には認識できていません。
ですが、確かに周りの環境を広い範囲で捉え、そして、それを認識することで自分の環境としているのです。
常に認知するわたしたち人間にとっては、認知して作り出した世界の中に生きています。その世界に住んでいます。
その世界は認知して作り出した環境とともにあって、まるでそれは宇宙船のコックピットの中にいるようです。
自分の居る環境から、宇宙を眺めているんです。コックピットの中で自分の宇宙船を操縦しながら、宇宙船に張り巡らされている全センサーによって常に周囲を監視しながら、安全性を確保しながら、宇宙の中を漂い続けているわけです。
ある目的地を設定して、例えば、どこかの星を設定して、それに向かっていくんです。
わたしたちは、そのようなコックピットの中に居ながら、常に認知しながら生きているんです。
認知することが中心であり、身体からの知覚された情報を頼りに、常に環境を感知ながら捉えて自ら環境を作り出しているんです。
常に環境とともにあって、自ら設定した環境の中に自分は居て、過ごし、考え、何かを思っているんです。
自分の環境は多様です。周りの環境に依存しつつも、その環境は確かに自ら作り出していて、それは独自の環境です。
そのような世界を構築して、世界を変え、宇宙船が宇宙の中を進んでいくように、車が進んでいくように、船が海原を進んでいくようにして、その世界を進んでいくんです。
認知する世界は、目の前に映る現実よりも、もっと多様で複雑で、そして、刺激を多く変わりやすく、自分だけのものであって、そして、捉えどころのなく、場合によっては頼りないものです。
ですが、それでも、認知の主体であるわたしたちは環境とともに、いかに環境を作り出して生きていくか、絶え間なく認知し続けているわけです。