毎日、未来の可能性について考えているわけです。昨日まで考えていた可能性を、昨日の時点で書き換えても、今日になったらまたあらためてその可能性について考えているんです。
考える事は自由ですから、何度同じ事を考えていいわけです。あくまで可能性ですから、事実ではないわけで、実現していない可能性についての考えは、何度でも考える事が出来るわけです。
それはある意味煩わしく、いったんその可能性については実現が難しいと理解して判断しても、また別の時にその事を思い出せば、また同じように、その可能性について考えてしまうわけです。
可能性ですから、それが実現するのかしないのか、いつになっても分からないわけで、その可能性が実際に何らかの形で事実として確定しない限り、可能性は可能性のままなんです。
可能性のままである限り、その可能性に何らかの期待を持っていたりすると、その可能性は何度でも蘇ってくるんです。
昨日、その可能性は必要ないと判断したとしても、潜在的にその可能性を真に捨てきれていなければ、今日またその可能性は同じく頭の中に浮かび上がってくるんです。
未来の可能性は、脳で生み出されるもののうちのひとつですが、それが現在の事でない限り、常に頭の中に残り続けるわけです。
頭の中では、それはまるで事実のように、未来の可能性が滞在し続けるわけです。
現実のものとして実現しなくても、頭の中に仮に可能性という形として生み出されているだけの事だとしても、頭の中には確かにその可能性は滞在しているわけで、それは事実でもあります。
つまり、可能性は、事実として実現しなくても、頭の中に存在しているのであれば、他の誰からも見えなくても、自分の中では確かに存在しているんです。
頭の外側から何かしら計測装置で測定してみると、脳波など何らかのデータを取得できるかもしれません。計測データとして、可能性は存在を実証できるかもしれません。
その意味でも、可能性は実体としては実現していなくても、頭の中には確かに存在して、頭の中にとっては確かであり、事実であるわけです。
その意味では、あくまで、昨日も未来の可能性の事として頭の中で考えて、また、今日も未来の可能性として考えただけだとしても、それは今確かに自分の頭の中に事実として存在していたわけで、その意味では、可能性は自分の中で現実のものとして存在しているんです。
確かな存在として、確かな事実として、可能性は自分の中にあるんです。