人間の認知は概念を作り出すわけですが、この「概念」を作り出す力によって世の中が回っているというのは、考えてみたらすごい事です。
お金も概念のひとつです。人が日々何かを食べるのに必要なお金の量からすると、世の中で回っているお金およびそれに相当するものから成る経済圏は圧倒的に大きいわけです。
ほとんどの人にとって、日々の生活にはそれほどのお金は必要ないんです。ご飯を食べたり、飲み物を飲んだり、電車に乗ったりする為のお金の経済圏は大して大きくはないんです。
実際の経済圏は、それの何桁も大きな規模の経済圏であって、大規模な経済圏の中では、人の基本的な生活に相当する経済の規模は大したことないんです。
人間のお金を求める欲求が強いうえに、その経済の規模が大きくなっているんです。お金は人間が生み出した概念に過ぎないのに、です。面白いことです。
言葉も概念のうちです。
本当か噓か関係なく、言葉はいくらでも紡ぎ出せるし、言葉は言葉として、事実や真実とは独立した事象ですから、人間が創り出した概念に他ならないわけですが、これによって人は突き動かされるわけです。
人とのやり取りも、情報も、理解も、言葉によって為されるのであり、人間の認知の作り出す概念が、いかに人間にとって重要か、物語っています。
人間は、身体が出来ています。概念から出来ているわけではないんです。何かを食べていますが、これも概念ではなく、食べ物という実体です。
概念ではないもので人間の生活や人生の大半は成立しているのにもかかわらず、人間は概念を必要としているのです。概念無しには生きていけないのです。
人間は道具を操ります。手で道具を操って何かを作るように、人間は概念を使って物を作るわけです。
車は確かに人間の手で作られていますが、年間1000万台もの車を生産するには、概念の道具が欠かせません。人と人の間に、言葉やお金などの概念が無ければ効率的に物事を進められないわけですから。
その意味で、人間にとって、概念は立派な道具です。人間の認知に基づいて作られた道具です。その道具無しに、人は人としてこの現代を生きていく事はできないんです。
確かに人間は、身体など概念でないものに支えられています。ですが、人間がこの現代で人間として生きていこうと思ったときに、概念無しでは生きていけません。
お金も言葉も、そして、乗っている車ですら、概念という道具によって作り出されたものであり、概念無しでは生きていけないんです。