お金は、どのように考えても実体ではありません。人間が創り出した人工物です。
人工物といっても、それはものではなく概念です。具体的なものではなくて、抽象的なものなんです。
人がそれを使うから、お金としての機能を果たすのであって、人がそれを使わなくなったら、その機能を失うんです。
お金は昔からあるし、今まさにその力は確かであって、これから先もきっと無くならない。そういうものです。
物と物との間ではじめて意味を持つ代替物であったお金を、まるで実体あるものとして扱う今日。お金の確かさは日々増すばかり。もはや実体としか思えないわけです。
それは、コインとしてでも、紙幣としてでも、通帳に記帳された数字としてでも、スマホで見る自分の口座の数字としてでも、お金はお金として実体あるもののようにして感じているのです。
現代においては、確かに、お金は生活を支えています。食べ物も買えるし、電気代も払えるし、家にも住めるんです。どこへでも行けるんです。それをお金は可能にするんです。
歴史的には、お金はその形態を段階的に変えて、でも、お金の概念は各段階での形態の中で生き永らえてきたわけです。まるで生き物のように、命があるかのように、形を変えながらお金の生命をつないできたんです。
もはや、お金の形態なんてものは重要ではありません。その価値は確かであって、世界のみんながそれを共有する事によって、価値を絶対的なものとして保持しているんです。
いまやお金のない世界は想像できません。一体、お金のない世界では、人々はどのように暮らしていくのか、どのように関わっていくのか、どのようにやり取りしていくのか、どのように助け合っていくのか、もはや分かりません。
お金は、あまりにも人と人との間で重要な役割を果たしていて、人と人をつなぐお金が無い世界を想像する事が出来ないんです。
人だけでつながった世界では、全てのやり取りや関わりを人同士でやらないといけないですから、そんな密着し合った世界で、人はもはや生きていく事はできないんです。人と人の間で生じるコストが高過ぎて、もはやそんな事は出来る気がしないのです。
お金が人と人とを引き離し、人同士の一定の距離を作り、一定の空間を作り、一定の時間を作っているんです。お金が創り出した時空間が人の間に上手に割り込み、緩衝材となり、潤滑油となり、人間社会をより円滑に回しているんです。
実体もない、概念に過ぎないお金が、いまや人間社会に溶け込んで世界を形作っているんです。