人は不確実性の世界を生きています。確実で安定した世界を生きたいと願いながら、実は安定した世界を生きたいとは思っていないわけです。
不安が強いと、確実で安定した世界を生きたいと願います。確かにそれはあります。ですが、安定してくると、やっぱり、不確実な世界を生きたいと思い始めるのです。
確実な世界とは、必然的な世界ですから、明日も予定通り、明後日も予定通り、未来も予定通りの世界です。それは安心で安定の世界ではありますが、きっとそんな世界はどこで面白くないと思っているのです。
不確実な世界を生きているように見えて、実は自分たちで不確実な世界を望んで生きているのです。
人の主観的な認知は、常に未来とともに今を生きています。
どうなるか分からない未来に向かって、未来に向かう時間軸の中で、今この瞬間を生きているわけです。
今から未来へのベクトルは直線的であり、未来への指向性を持って現在を生きているのです。
その瞬間、確かに、その未来を実現しようと、あるいは、その未来に到達しようと生きていこうと思っているわけです。その到達点に達したいと願っているわけです。
でも、その未来の到達点は確実なのかというと、確実ではないんです。不確実な未来の到達点を設定するんです。
逆に言えば、確実な未来を設定する事も可能かもしれません。
ここから真っすぐ道に沿って歩いていけば、確実に最寄りのスーパーに辿り着くわけで、そのようにして生きていく事は出来るわけです。
予定通り、確実な未来に向かって生きていく事は可能ではあるわけです。
ですが、予定通りの、固定された未来は、望んでいる未来ではないんです。未来はいつも可能性に開かれていて、だから、不確実な未来をどこかで望んでいるんです。
そして、確実な世界と不確実な世界の間を生きようとするんです。確実な世界は生きた心地がせず、でも、あまりに不確実な世界は死にそうになってしまうので、その間の確実と不確実の世界を生きようとするんです。
不確実な世界を生きていくのは不安ですから嫌なんですが、だからと言って確実な世界を生きるのも嫌なんです。
その結果、人は不確実な世界を設定し、その未来に向かって生きようとするんです。不確実な世界を望んでいるんです。
みんなも同じく不確実な世界を望んでいるんです。そして、世界は不確実なものになるんです。
自分たちが作る世界は、不確実性に不確実性を重ねて、超不確実性の世界を作り上げているんです。そんな世界を、人は望んで生きているんです。