人はいつも何かを考えています。これからどうしていくか、を考えています。
もちろん、過去の事も振り返っています。自分の記憶を辿り、過去の自分や出来事について考えるのです。
ですが、それも、今後の事につながる事として考えているわけです。
人は、今この瞬間、これから先の事について考えているわけです。未来の事を気にしているわけです。
時には、今目の前の事について集中もしています。何か、目の前の対象に集中し、没頭している時、確かに未来の事は考えていません。
人は何かに意識を集中させていると、それ以外の事は考えないのです。
人の散漫さは、注意を散漫にし、注意の資源の一部を未来の事について考える事に充てるかもしれません。ですが、注意の資源の量は決まっていますから、その資源を分散させても注意力は低いために、注意を分散させたまま未来の事を考えても、それは中途半端な思考です。十分に考えられていません。
それは同様に、目の前の対象に対する集中の度合いも下がります。注意の資源はできれば一つの事に振り向けるのが良いのです。
そのような意味では、散漫さはあまり良くはありません。
そして、目の前の集中する対象が無い時、人の思考は未来に向けられます。これからどうするかという事を自然と考え始めます。
未来の事について自動思考してしまうという事です。
未来は常にそのように思い抱く事で、自分の中で想像されます。
思考して、想像した未来は、実現できるのかできないのか分かりません。認知として想像した未来はあくまで可能性であって、実現するとは限らないのです。
ですが、常に人は、未来の事について考えてしまうのです。
あるいは、想像している事が未来の事につながっているのかもしれません。
未来の事について意識的に考えているのではなく、考えている事が未来につながっていくのかもしれません。
考える事はそのまま実現するわけではないし、可能性に過ぎませんから、ただ、ひょっとしたら、未来に実現するかもしれないという事です。
ですから、人は想像し、考える事というのは、現実ではなく、可能性であって、もし実現するとしてもそれは未来に実現するかどうかであって、その意味で、考える事は未来につながる可能性があるという事です。
何かに集中していないんだったら、人はただ想像し、考えるんです。人間はそのような認知の中にいるのです。
そして、そのようにしてただ考えている事は、今の現実ではなく、単なる可能性であり、そして、その可能性が未来についての潜在性なのです。