人間は、認知空間を発展させる事で実社会を発展させてきた。そのようにも説明できると思います。
メディアの発展が社会を発展させてきたという文脈は、歴史的にも良く説明されてきたと思います。
メディアは人間の認知に関係していて、あらゆる情報が人間の認知に蓄えられ、作用する事によって、人々の認知空間が多様に発展してきたと考える事が出来ます。
これによって人間は色んな事を知り、活動する範囲を広げてきたと言えるわけです。
人の考える内容も、認知空間の発展とともに、共有され、拡張されてきました。この事は、人類の歴史においても不可逆的に発展してきていて、間違いなく、現代の人間の知識は、古来の人間より広くたくさん持っています。
言葉は、人間の認知ととても相性がよく、世の中のあらゆる知識や認識が、言葉により為されるわけです。人とのコミュニケーションを円滑にするだけではなく、認知した事をより明確に、視覚化する事にも役立ちます。
概念も、認知空間を発展させる事に寄与してきました。概念はたいていそれを示す言葉を持っていますが、それは言葉を人間が取り扱いやすいから言葉として概念を表しているのであって、概念は概念として独立してあるわけです。
概念という無形なものを取り扱う事によって、人は認知を共有したり発展させたりする事が可能であるわけです。
それは、当然人間が常に何かを認知しながら過ごしているからで、ある意味、認知すること無しに生活はしないわけで、認知というフィルターを通して、人は生きているわけです。
現実的に、自分の目の前に広がった何かでなくても、認知上の空間は各人の中に広がっているわけで、その空間を人は扱いながら過ごしているわけです。
認知する空間が快適な空間であれば人は確かに心地良いし、その空間が不快であれば、人は心地良くはないわけです。
物理的な空間よりも以前に、認知的な空間が重要であるわけです。
目の前に物理的な空間は確かに広がっていたとしても、それは認知の空間のフィルターを通して認識しているわけで、どのようにしても、認知の空間がまず自分の中にあるわけです。
ですが、認知の空間は自由度が高く、想像するのもこの認知空間だし、思考するのもこの認知空間だし、時間を感じられるのもこの認知空間だし、認知空間をどのように構築し、発展させるか、そのことが人間にとっては重要であるわけです。
そして、人は自分の認知空間を豊かなものにしたいし、心地良いものにしたいわけです。