毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

諸行無常のシステム。歯車の手を放す。

人は確かに何かを変えようとずっと何かをしているんですが、なかなか変わらないわけです。

 

自分も何か大きなシステムの歯車の一部のようにして、回転し続けているわけですが、システムの一部として同じ場所で回転し続けているだけで、なかなか状況は変わらないわけです。

 

ただ、同じ場所で同じ活動をしているだけでは、活動を続ける事はできたとしても、活動の規模を変えるとか活動の内容を変えるとかまでには至らないわけです。

 

別に、同じ場所で、同じ回転を続けても問題は無いのですが、何かを変えていきたいのであれば、何か工夫は必要なわけです。

 

大きなシステムは一見頑丈に見えて、別に変えてはならないシステムではないはずです。

 

自分がそのシステムの一部だとしても、そのシステムの維持のために、自分が逸脱した活動をやってはいけない、という事はないはずです。

 

大きなシステムは、まるで個々の歯車が調和を維持して回転する事で成り立っているわけだから、回転数を急に変えたり、回転の向きを変えたりするとまずい気がしてしまいます。

 

自分の隣の歯車も、せっせと同じ回転を続けているわけだから、それに合わせないわけにはいかないように感じるわけです。

 

でも、大きなシステムはずっと同じというわけではないし、むしろ、そのシステムは常に変わり続けているかもしれないわけです。というより、ずっと変わり続けているんです。

 

そもそも、大きなシステムは維持されなければならない決まりなんて無いわけですから、それに合わせる必要なんてないんです。むしろ、合わせる事を望まれてもいないんです。

 

大きなシステムは諸行無常ですから、留まることなく変わり続けているんです。

 

ですから、自分自身も同じ回転数のひとつの歯車である必要はないんです。

 

いつでも、変更可能な歯車で良いんです。歯車でなくてもいいんです。

 

お互い、がっちりと歯が噛み合っていないといけない事も無いし、噛み合ったり噛み合わなかったりしながら、むしろ変化に富むシステムである方が良いんです。

 

いつの間にか、自分自身が噛み合う歯車になってしまっているわけで、歯車になる必要すらそもそも無かったんです。自ら、盲目的に、歯車になってしまっているんです。

 

ですから、噛み合わせようなんてする必要もないし、歯車の歯なんてそもそも無いし、同じ場所でぐるぐると回転し続ける必要もないんです。

 

諸行無常のシステムの中で、自分自身こそが諸行無常であって、常に留まることなく変わり続けているんですから、ただその手(=歯)を放したらいいんです。