世界は変化しているわけですが、同じことを単純に繰り返しているわけではないですから、より厳密に言うと、世界は変化していくわけです。
世界が変化していくとは、つまり、進化している、とも言えるわけです。
世界にとってまず考えるべきことは、事実があるということです。
人間は主観的な生き物であって世界を認識するにおいてどのようにしても主観的にしか認識できないわけですが、それよりも以前にまず、事実があるということです。
自分という人間が今ここにいるという事実も、ある意味で、主観的な人間である自分がそのように認識するよりも以前に、ここに自分は存在しているということです。
そして、世界は常に移り変わっているわけで、この諸行無常の世界は、縁起の世界です。原因があって結果があるという世界であり、そのことによって変わり続けているわけです。
この変わり続ける仕組みは、何らかの法則があって、その法則が縁起を支えているわけです。
りんごを手放すと地面に落ちるのは、そこに重力の法則があって、そして、その法則に支えられて変化がもたらされているわけです。
法則に反する変化は起きません。りんごをただ手放しても上には浮き上がりません。重力の支配する世界では、ただ手放すだけではりんごは地面にただ落ちます。
だから、世界には、事実があって、そして、法則があるわけです。この2つがあって世界は変わり続けるわけですが、もうひとつあるわけです。
それが、可能性です。変化をもたらす可能性です。
世界は、常に事実が積み上がっています。変化し続けている世界では、事実も同時に変化し続けています。
事実が変化すると、事実に対する法則の影響や有効性も変わります。
また、事実の変化とともに、法則も変わり続けます。新しい法則も生まれます。
新しい法則とともに事実の変化もこれまでの変化とは異なる変化をします。
そのようにして、事実も法則も複雑になっていく中で、それらに対する変化の可能性も変化していきます。
私たち人間は、この可能性に関わることができます。
不可逆的に進化を続ける世界に対して、あらゆる法則を駆使して、変化の可能性を思考し、想像します。予測し、思考実験を繰り返します。
法則を試すこともできます。積極的に可能性を試すことで新たに法則を見つけ、作り出します。
そして、また、事実を積み上げ、塗り替えます。
無限の変化の可能性が、事実を塗り替え、法則を塗り替え、そして、世界は進化し続けます。