この世界が常に変わり続けているとしたら、間違いなく自分は変わり続けている事になります。
自分の中のある一部分だけが変わり続けているのかというと、きっと一部分だけではないはずで、ありとあらゆる部分が変わっているんだと思います。
人間の身体はたくさんの細胞から出来ている事を思えば、ひとつひとつの細胞がきっと絶え間なく活動して変化しているはずですから、その数からしても身体のすべての部分が絶え間なく活動し続け、変化し続けているだろうことが想像できるわけです。
そのように考えると、自分はいかに、自分の事ですら、常に変わり続けているという事実に気が付いていない、という事がよく分かります。
身体のあらゆる部分に意識を向けて、変わり続けている事に気付こうとして気付いたとしても、どう考えても身体の全ての部分の変化に気付く事は到底できない事も分かります。
ですから、自分も常に変化し続け、世界も常に変化し続けている事実に対して、自分自身はほんの少ししか、その変化に気付いていない、逆に言えば、その他のほとんどの変化には、全く気が付いていない、そういう事になるわけです。
変化している事は間違いないわけです。自分の身体ひとつとってもそうなのですから、世界のあらゆる部分が変化し続けている事も間違いなくて、そして、その事に対して全く気が付いていないという事です。
つまり、これは、いかに人間が盲目であるか、という事を示しているわけです。
盲目なんです。変化しているほとんどを、人は気付かず見逃しているわけです。
とは言え、別に、盲目である事を悪いなんて言っているのではなく、ただそうであると言っているだけの事です。
そして、その変化とは、循環し続け、同じ事を繰り返しているということではなく、同じ事は二度とないほどに、不可逆的に、変わり続けているという事です。
世界も、自分も、です。
とは言え、変わり続ける方向は、一定方向ではありません。変化の方向は決まっていません。不明です。
どの様な方向にも変化しうる可能性があり、つまり、変化の可能性に満ちているという事です。
あらゆる変化の可能性に開かれながら、常に変化し続けているわけです。
それは、自分を含めて世界の全てがそのようであるわけです。
可能性しかありません。変化は必然であるならば、可能性も確かです。
自分も含めて世界の全てが変化の可能性の中にあって、絶えず未知の中で、変わり続けているんです。