良い人間だと思われたいという気持ちってあると思います。というより、悪い人間だと思われたくないという気持ちかもしれません。
自分が良い人間なのか、悪い人間なのか、分からないけれども、少なくとも、悪い人間だとは思われたくはないんです。
悪い人間というのが良くない、という事は頭で分かっていますから、そうであってはいけないと思っているわけです。
分かっているというか、そう思っているんです。
悪い人間とはどういう人間か、という事についてどこまで厳密に考えているのかというと、そんなに考えきれていないかもしれません。
ですが、日本人であれば、人に迷惑をかけるような人間は良くない人間だと信じ込んでいますから、そのような良くない人間であってはならない、などというようには思っているわけです。
そして、案外、自分自身が良い人間なのか、良くない人間なのか、という事についても、あまり考えられていないわけです。
その上で、自分は良くない人間ではない、と信じているんです。あるいは、信じたいんです。
ですが、よく考えてみれば、言うほど良い人間でもないな、と薄々気付いてもいるわけです。
良いところもあるかもしれないけど、全面的に良い人間とは言えないな、とある面において、謙虚にそう理解しているわけです。
そのように、自分自身に対して、落ち着いて、客観的に理解している自分もいながら、とは言え、良くない人間である事を拒絶したいわけです。
何とか良い人間でありたいとも思っているわけです。ですから、その為に努力もしているでしょうし、謙虚であろうとしているでしょうし、そのような事で日々色んな実践をして、行動をとっているわけです。
ですが、そのような実践も行動も、突き詰めてみると、一体何のためにそのような実践をして行動をとっているかというと、良い人間だと思われようとしているわけです。あるいは、良くない人間だと思われないようにしているわけです。
何か、そこには、損得が関係しているかもしれません。
いずれにしても、良くない人間だと思われたくないわけですが、一方で、自分自身は真に良い人間なのか、という問いに堂々と、良い人間である、と断言できない自分がいるわけです。
自分に対して、真に良い人間である、と信じる事が出来ない自分がいるわけで、それは謙虚で素晴らしいのかというとそういう話でもなく、事実なのか、というと、むしろそっちに近いのではないか、と思っているわけです。
自分は真に良い人間である、という事に、疑いを持っているわけです。
ということであるならば、いっそのこと、自分という人間は、良い人間ではない、という事を認めてしまえばよいのではないか、そのように思い始めるわけです。