人間には、エピソード記憶というものがありますが、自分の人生で経験してきた記憶によって自分が作られているように感じます。
確かに、自分は過去の経験を覚えているし、その記憶とともに過ごしていて、色んな記憶が自分を形作っています。
記憶だけではなく、実際に続けてきた事、やってきた事、積み上げてきた事によって、自分自身が成り立っているようにも感じます。
それは、自分が生きてきた物語のようなもので、自分はこの自分の物語によって自分を認識しているわけです。
いわゆる、自己同一性とは、自分のこの物語とともにあり、この物語は自分を支えているわけです。
ただ、この物語が自分を励まし、喜ばせ、支えてくれるなら、この物語とともに生きていけば良いですが、自分をつらくして、惨めにして、苦しめるようなら、この物語はむしろ必要ないわけです。
この自分の物語は、自分のアイデンティティであり、自分はそのアイデンティティをまとって生きているわけですが、それは自分の服であり、自分のソファーであり、自分の家であり、自分のホームであるわけです。
それらが心地良いうちはそれで良いですが、不快な場合はそんな服は役に立たないし、そんな家からは即刻出て行きたいわけです。
ですから、物語としての自分は、ポジティブであれば都合が良いですが、ネガティブであれば都合が悪いわけで、そんな物語は捨ててしまいたいわけです。
生きていく為には、この物語が必要だと思うかもしれませんが、案外そうでもありません。
この物語が無ければ、何に頼ったらいいのか、何に寄りかかったらいいのか分からなくなり、寄る辺が無く、心細く、どうやって生きていったらいいか、分からなくなるわけです。
それが不安で怖くてしょうがないから、もっと物語を充実させたいし、良い服を着たいし、良い家に住みたいし、安心が欲しくてしょうがないんです。
ですが、別に、人間は、そんなもの無くても生きていけます。自分の物語が無ければ自分を生きていけないのではないかと信じ込んでいますが、決してそんな事はないんです。
そんなもの無くても、自分は自分としてそこに居るんです。自分だと思い込んでいた記憶や経験、物語、アイデンティティは、確かにそばにありますが、それらが無ければ自分ではない事なんて無いんです。
自分は、この物語とは独立にあって、寄る辺なく、心細いかもしれませんが、それでも自分は自分として何の支えもなくそこに居るんです。