毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は想像する動的な構造体の中を生きている。

人は想像する力があります。想像する事によって生きています。

 

人はただ当てもなく生きているのではなく、自ら想像する構造の中を生きているわけです。

 

そこに家があり、ビルディングがあり、道路があり、駅があり、そのような構造から成る町の中を歩き回るように、人は自らの想像する構造の中を生きているわけです。

 

想像上の、主観的な構造が無ければ、足場もなく、手をかける手すりもなく、どうやって歩いていったらいいのか、どこに向かっていったらいいのか、分からないわけです。

 

想像というイメージを持っているわけです。主観的に、イメージを持ちながら、その環境の中で人は何かしらの方向に向かって歩いているんです。

 

また、想像する構造物は、固まった構造物ではありません。きっと、動いています。ただゆらゆらと、その場で揺らめいているのではなく、ある方向に向かって、構造物は静かに、でも、ダイナミックに動いています。変化し続けています。

 

きっと、そのような動的な構造物を自ら想像しながら、人はそれをあてにして生きているんです。

 

想像物は、確かに、視覚的な認識しやすいものだけではありません。でも、イメージとして認識しやすいように想像してはいるのです。

 

もちろん、その構造物は、道路や建物や駅などの物体からだけなるわけではなく、人も含まれるし、国家や企業などの社会も含まれるし、あらゆる概念もイメージして組み込まれているのです。

 

そのような想像上の構造体の中を、そして、常に動き続ける、静かでありながら不連続にダイナミックに変化し続ける構造体の中を、慎重に、でも、大胆に生きているんです。

 

想像上であるにもかかわらず、その構造体に、リアリティを持って、感情や神経をフル稼働して、生きているんです。

 

その構造体は、とは言え、フラジャイルな構造体です。いつだって、崩壊するかもしれない動的な構造体です。それは、自分だけが想像する、設計して建築する構造体ですから、いつそれが不安定となり、崩壊するか分かりません。

 

それをあてにしつつも、崩壊しかねない自らの構造体の中を、人は生きているんです。

 

崩壊されては困るんです。その中を生きていかなければならないわけですから、それが崩壊すれば、崩壊する構造体ごと、自分自身も生きていく足場を失うんです。

 

人はそのような想像上の動的な構造体を自ら建築し、その中を生きているんです。

 

 

それは、自分の中の主観的な物語であり、自分のリアルタイムな動的な歴史なのです。人は、常に構造体を想像しながら生きているんです。