毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ただ、あるがままで居ればいい。未来の想像の可能性に苦しむ。

ただ、あるがままで居るのは意外と難しいものです。

 

頭の中に色んな事がわいてきて巡るから、それにいちいち反応せずにはいられません。放っておけばいいんですが、気が付いたらその事に囚われてしまいます。

 

頭に湧いてきている事は、過去の断片だったりするわけですが、すぐにそれらの断片を資源にして、これからの未来の事を想像してしまいます。可能性に過ぎないのに、ほぼ自動的に、あれやこれや想像を膨らませて展開させてしまうので、ストレスで疲れ果ててしまいます。

 

未来の想像の内容がポジティブなものであればそれはそんなに問題ありませんが、ネガティブである事が多いので、それでストレスいっぱいになって、不安や心配でいっぱいになって、精神的に疲れてしまうんです。

 

しかも、そのような未来の想像は、それも可能性に過ぎないものですが、これまで散々妄想してきた想像を同じです。

 

同じような未来の想像で、何度も打ちのめされ、振り回され、あるいは、不安になってきたわけです。

 

これ以上繰り返してもしょうがないとわかっているのに、また同じことをやっているわけです。

 

確かに自分の身の回りで起こっている事が原因かもしれませんが、それを資源にして自分の中で湧いてきては想像しているには、自分なんです。

 

自分の仕組みで精神的に疲れているんです。

 

これらの想像は可能性であって、この可能性はそれほど高くもないんです。そして、それらの未来の想像は、かなり先の想像だったりして、確かめる頃にはおそらく忘れているんです。

 

だから、問題なのは、今まさにそれらを資源として想像し、そして、精神的に疲労するという、今の仕組みです。

 

たいてい、それらを資源にして、さらにそれらを燃料にして自ら火に油を注ぐかのように、その炎を大きくしているんです。

 

火も小さいうちは、放っておけば消えてしまう事も多いですが、大きくなると、放っておいたままだとどんどん大きくなって被害も拡大して、その辺り一帯を焼け野原にしてしまいます。

 

小さいうちに放っておけば消えてしまうのに、その後に自ら注いでいるんです。

 

それは自ら生み出した想像であり、しかも、可能性に過ぎない想像なんです。そして、可能性に過ぎない未来の想像を、自らどんどん膨らませて、疲れ果てているんです。

 

昨日もそんな日を過ごし、今日も同じように過ごす。そして、この調子で明日もきっとそのように過ごすんです。

 

ただ、あるがままで居るだけでいいはずなんです。