やりたい事とは、意味もなく、凄い事でもなく、ビジネスにつながる事でもなく、成功につながる事でもないわけです。
やりたい事とは、ただ面白いからやる事であって、それ以上である必要もないんです。
また、それを継続的にやり続ける必要もなく、ちょっとやってみて、そこで止めてもいいんです。そういった事もやりたい事のうちなんです。
そして、やりたい事は、ずっと同じ事である必要はないんです。やってみて、少しアレンジしてもいいし、他の事とくっつけてもいいんです。やりたい事は固定化されたものではなく、形を変えていく潜在性があって、変幻自在なんです。
常に、色んな影響を受けているわけですから、やりたい事は容易に影響を受け、むしろ、常に変わり続けるんです。諸行無常です。
やりたい事は、それをやる時にハードルの高さは一切関係ありません。ハードルが高い方がやりたい事であるなんて定義はどこにもありません。ハードルは低い方が、実行可能性は高いわけです。
やりたい事は、常にやっていなくても、まるで戯れるようにそこに在ればそれで十分だし、それをやっていて楽しくて、それをやっていて面白くて、それをやっていて落ちついて、それをやっていて癒されるなら、それは十分はやりたい事なんです。
そして、やりたい事は、すでにやっていたりするわけです。何か、凄い事とか、分かりやすい事とか、成功につながるようなものとかだと思っているから、ハードルが上がって、色んな事をやりたい事と認めていないわけですが、実はすでにやっていたりするんです。
あまりに何気な過ぎて、また、あまりに普通の事過ぎて、また、あまりに当然のこと過ぎて、それがやりたい事であるとカウントしていないんです。
やりたい事とは、そのような普通さ、自然さがあって、当たり前の事としてやっている事がすでにやりたい事のうちだったりするんです。
自分がやりたい事と認識する前にすでにやっているわけですから。それは、真にやりたい事のポテンシャルを持っています。
やりたい事は、ある意味生き物のようで、少しずつ形を変えながら育っていきます。何気なくそこにあって、やっているうちに育っていて、形を変えていくポテンシャルを備えているんです。
それがどのように育っていくかなんて、実は重要な事ではないんです。育っていってもいいし、育っていかなくたっていいし、やりたい事とはそのようなちょっとした事なんです。
大それたことではないんです。