人は見えるものにどうしても注目して期待しがちです。ですが、見えないものの中に、よく見たら価値あるものがあります。
むしろ、見えないものの中にこそ価値がある場合が多いです。
見える、という時はそれは視覚的に見えるかどうかを意味しますが、それだけとは限りません。
感覚で言えば、目で見える事以外には、耳で聞こえるものもそうだし、鼻で嗅げるものもそうだし、舌で味わえるものもそうです。身体で触れられるものもそうです。
知覚できるものはすべて、ここで言う、見える、の範疇です。
そして、その意味での、見えないものの中に、つまり、知覚できないものの中に、価値がある場合が多いという事です。
「見えないものの中に」というわけですから、それは、自分から離れた遠くで見つかるわけではなく、自分のそばで見つけられるわけです。
つまり、盲目的、ということであって、人間は盲目的であり、見えるものを見ていて、見えないものは見ないわけです。
ですが、見えないものの中に、価値あるものはあるんです。
見えるものは、刺激が強く、自分自身も見えるものに過剰に反応してしまいますから、すぐにそれを手に取りたくなるし、すぐにそれを自分のものにしたくなるし、所有したくなるわけです。
ですが、そんな事をしても、大して満たされないし、見えるものを口にしてもそれで終わって、また別の見えるものに飛びついてしまうわけです。
本当にきりが無く、ずっと見えるものを追いかけては満たされず、ただ繰り返すだけです。
ですが、本当は、見えないものの中にあるんです。追いかける必要もないほどに、そこにあるんです。
そこにすべてがあるんです。すべてがそろっているんです。ですが、自分が盲目がゆえにそこにそれがある事が分からず、気付かず、そして、遠くにある分かりやすいものを追いかけ続けるんです。
一体、いつまでそんな事を続けるんでしょうか。追いかけても、追いかけても、心は満たされないわけで、そろそろ、その事に気が付かなければなりません。
ずっと空っぽなんです。見えるものを追いかけて口の中に放り込んでも、何も残らず、それではずっと、心は空っぽなんです。
そうではなく、すでにそこにあるんです。ただ見えていないだけで、そこに価値あるものはあるんです。すべてはそこにあり、全て美しく、豊かに満ちていて、ただ、心がそこにないんです。
自分の心は確かに動いていて、息づいていて、美しさと豊かさと、全ての世界とつながっているんです。