毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

見えないものの中にある。心は満ちている。

人は見えるものにどうしても注目して期待しがちです。ですが、見えないものの中に、よく見たら価値あるものがあります。

 

むしろ、見えないものの中にこそ価値がある場合が多いです。

 

見える、という時はそれは視覚的に見えるかどうかを意味しますが、それだけとは限りません。

 

感覚で言えば、目で見える事以外には、耳で聞こえるものもそうだし、鼻で嗅げるものもそうだし、舌で味わえるものもそうです。身体で触れられるものもそうです。

 

知覚できるものはすべて、ここで言う、見える、の範疇です。

 

そして、その意味での、見えないものの中に、つまり、知覚できないものの中に、価値がある場合が多いという事です。

 

「見えないものの中に」というわけですから、それは、自分から離れた遠くで見つかるわけではなく、自分のそばで見つけられるわけです。

 

つまり、盲目的、ということであって、人間は盲目的であり、見えるものを見ていて、見えないものは見ないわけです。

 

ですが、見えないものの中に、価値あるものはあるんです。

 

見えるものは、刺激が強く、自分自身も見えるものに過剰に反応してしまいますから、すぐにそれを手に取りたくなるし、すぐにそれを自分のものにしたくなるし、所有したくなるわけです。

 

ですが、そんな事をしても、大して満たされないし、見えるものを口にしてもそれで終わって、また別の見えるものに飛びついてしまうわけです。

 

本当にきりが無く、ずっと見えるものを追いかけては満たされず、ただ繰り返すだけです。

 

ですが、本当は、見えないものの中にあるんです。追いかける必要もないほどに、そこにあるんです。

 

そこにすべてがあるんです。すべてがそろっているんです。ですが、自分が盲目がゆえにそこにそれがある事が分からず、気付かず、そして、遠くにある分かりやすいものを追いかけ続けるんです。

 

一体、いつまでそんな事を続けるんでしょうか。追いかけても、追いかけても、心は満たされないわけで、そろそろ、その事に気が付かなければなりません。

 

ずっと空っぽなんです。見えるものを追いかけて口の中に放り込んでも、何も残らず、それではずっと、心は空っぽなんです。

 

そうではなく、すでにそこにあるんです。ただ見えていないだけで、そこに価値あるものはあるんです。すべてはそこにあり、全て美しく、豊かに満ちていて、ただ、心がそこにないんです。

 

自分の心は確かに動いていて、息づいていて、美しさと豊かさと、全ての世界とつながっているんです。