人間にとっての概念は、非常に実行性があって、生きるという事に強く影響します。
人は生きる意味が必要といいますが、この「意味」とはまさに概念の事であって、概念は人間が生きる事を支えているわけです。
概念は形而上学が取り扱う領域ではありますが、この領域が人間に生きるという事を支えるという事です。
単に、他の動物と同じく、生き残るための本能だけでは生きる事を支えられない、と言っているわけです。
概念は、認知機能によるものであって、人間の認知が概念を作り出し、その概念を操作して、そして、その概念によって生きる事を可能にしている、というわけです。
その意味で、概念とは人間の創造したものという意味で、人工的なものであって、人間の作りだした概念という人工物によって生きる事が支えられているという事です。
概念は、ひとつではなく、そして、固定されたものでもなく、常に作り出され、常に変わり続けるわけです。人間が人工的に創り出すものであるわけですから当然そうであり、都合よく作り出す事すら可能であるわけです。
また、自分にとって適した概念はあって、そのような概念に出会えたならば、それは真に自分を支え、それが、信念であったり価値観であったりするわけです。
そのような概念は、認知がする事であって、言葉も概念の1つで、認知がする事である事が考えると、概念は言葉によって明確にする事を可能にするわけです。
もはや人間は、文化の上に立ち、文化としての言葉という概念を前提として、すでにあるものとして生きているわけで、それは、すでに自分たち人間が現代の生きる世界の一部であり、環境に一部であり、まるで身体の一部でもあるわけです。
そして、言葉によって概念を操り、自分自身を真に支える信念や価値観を作り出し、そして、力強く、前向きに、生きていく事を可能にするわけです。
人間が、少なくとも、人間らしく生きるといったとき、現代の文化人として生きるといった時の「生きる」は、間違えなく、自ら作った概念に支えられていて、概念とともに生きているわけです。
繰り返しですが、他の動物のような生存本能の身では生きているとは言わないわけです。
もちろん、生存本能で生き延びようとして生きる領域もありますが、そうではない、概念に支えられた、概念とともに生きる領域もあるという事です。
そして、その領域があってはじめて、人間は自分は生きているという事を実感できるわけです。