人間は、進化する仕組みを備えています。環境に単に適応する生物一般に見られる進化とは異なり、自ら進化する「自己進化」の仕組みを備えています。
環境の要因は、人に淘汰圧をかけ、適応を促します。それは、生物の進化の過程で見られてきた現象です。その意味で、進化は、生物一般に見られる進化論の範疇です。
ですが、人間の進化は、単なる適応に基づく進化ではなく、自ら進化していく自己進化です。
自ら変わっていこうとする、という事自体が、何らかの淘汰圧であり、それに対する適応ではないか、という考え方もありますが、確かに、その意味では、自ら感じる淘汰圧に、自ら適応して進化していこうとする事自体が「適応」といえ、進化論のうちです。
その文脈で、特に、ここでは、人間の自己進化は、これまでダーウィンの進化論の延長で語られてきた進化論とは異なる進化である、という事を主張したいのではなくて、単に、人間には自己進化する性質があるという事を強調したいという事です。
たいていの生物は、能動的に自ら適応して進化するというよりは、環境に基づく淘汰圧によって受動的に進化する、あるいは、結果的に進化するわけですが、この場合の人間の自己進化は、これとは異なります。
受動的ではなくて、能動的に進化するという事です。
昆虫の多くは、さなぎの過程を経て、変態により自己進化していく性質を備えていますが、それでも、自己進化のプロセスはどの昆虫も同じです。
ですが、人間の自己進化は、皆多様に自己進化していくわけで、プログラムされた自己進化とは異なります。
自分の信念や価値観に従い、自分の望みにしたがって、自ら進化するわけです。その進化の人それぞれです。
自己進化は人間の性質のうちにあって、むしろそのように生きなければ生きていけない性質でもあります。
人間の自己進化は、自分たち人間にとっては自然なのです。むしろ、それを抑制して進化しない生き方をする方が無理があるわけです。
人間は、根源的に自由を求めていて、不自由のまま生きていく事が出来ません。身体は生き永らえても、精神は死んでしまいます。
人間は、段階的に、不連続に、自らの殻を脱ぎ捨て、何度も脱ぎ捨て、違う姿に形を変えていくわけです。そのように生きていく事を、その意味ではプログラムされているのかもしれません。
人間はただ生きているのではなく、また、生きのびるためだけに生きているのではなく、常に変化し、常に進化して生きていく生き物なのです。