毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

お金は現代社会の宗教である。

現代の人々は、お金という概念を重要視しているわけですが、言い方を変えれば、お金の宗教の信者のようなものです。

 

別に、大袈裟な話でもなく、宗教なんてものは皆無意識に影響しているのであって、宗教の影響から完全に離れることなどは無いわけです。

 

現代社会を生きていると、お金の概念は絶大であって、絶対であり、概念にもかかわらず、その効力は確かなわけです。

 

人間の作りだした概念であるにもかかわらず、人間の認知がそれを事実に匹敵するものだと共有して認識し、皆でそれがまるで実体があるかの如く認識しているわけです。

 

現代社会においては、お金は、あらゆるものに交換でき、家も車も土地も何もかも、お金によって手に入るわけです。

 

お金は、国によって様々な貨幣がありますが、それらも交換可能であり、人と人とを結びつけることが可能な、強力なメディアであるわけです。

 

現在の経済システムにおいては、それがいかに単なる概念であろうと、代替物であろうと、この力は確かであって、皆で共有して創造したお金の価値は、もはやなくてはならないものです。

 

お金の概念ははるか昔から存在していたわけですが、少しずつ形を変えつつもお金そのものの概念は存続し続け、間違いなく、かつて存在していなかった概念であるものの、もはや、それは、コインや紙幣といった形あるものでなくても、デジタルに記録さえしていればそれで十分であるわけです。

 

概念そのものが形あるものを経ずとも確かな価値として存在しているわけです。

 

それをささえているのも、私たちの共通概念によるものです。

 

お金には確かな価値がある。自分がそう信じ、他の人もそう信じ、皆が同じくそのように信じている事によって、概念であろうとなかろうと、また、実体があろうとなかろうと関係なく、その価値は絶対なのです。

 

それを支えているのが紛れもなく、私たちであり、人間の宗教の力であるわけです。

 

みんなで信じる事で支え合っている価値であるからこそ、信じる事を止めるわけにはいかないし、みんながそれを信じ無くなれば、それはただの紙切れになり、紙でなくても、ただのデジタル上の数値になるだけです。

 

これまでの努力が水の泡となってしまうので、信じる事を止めるわけにはいかないわけです。これまでの努力とこれからの努力が、自分自身の生命の存続を支えるわけです。

 

いくら概念だとしても、宗教の賜物だとしても、自分たちが信じるのを止めれば、途端に、現代社会は崩壊し、生命を預けた社会の崩壊とともに、生きていく事が出来なくなってしまうのです。