人間は、他の動物と違って認知の機能が発達していて、この認知によってどう生きるか、という面が大きいわけです。
事実がどうあれ、その事実に対して、人はどのように認識するのか、そして、認知するのか、この事が重要だという事です。
それは、自分の身体の状態は事実であって、どのような身体の状態であれ、自分がどの様に認知するかで、ものの見方は変わるわけです。
人間は主観的な生き物ですから、ある事実に対して主観的にどのように認識し、自らの現実として捉えるか、結局その事が重要であるというか、人間はそれでしかないわけです。
人がある目標を持って、あるいは、ある夢や願望を持って生きようとするとき、それを実現したいと思って生きていくわけですが、自分における事実とのギャップが大きいと、その目標や夢を叶えるのか困難ではあるわけです。
ですが、それが自分の信念や価値観と強くつながっていて、どうしてもそれを実現したいと真に願うのであれば、事実とのギャップを埋める事が出来るわけです。
とは言え、自分の持つ身体という事実は、例えば、いくら高いところにジャンプしたいと思っても、身体の限界がある以上、その願いは叶えられないというように、事実が、目標の実現を阻むわけです。
同様に、感情も事実であって、自分の中に沸き起こる感情が、自分の夢や願望をかなえる事を妨げる場合、その実現は阻まれるわけです。
過去の何らかのトラウマが身体に深く刻み込まれている場合、感情の悲鳴は自分の中で大きく響き渡る為、その事を無視する事は難しく、いくら実現したいその夢や願望が信念に強くかかわっていたとしても、その実現を阻むわけです。
ですから、この事実に対していかにアプローチするか、そういった事が、信念や価値観とは別に極めて重要だという事です。
事実の上に、事実を重ねて目標に到達しようとする場合、重要な事は、そのプロセスであり、行為であり、行動であり、実践であるわけです。
それらが、事実を積み上げ、事実を推し進め、目標への到達を可能にするわけです。
そして、身体や感情といった事実をいかに克服して修正していくか。それは、学習であり、行動変容であり、習慣化とも言えるわけです。
習慣により、自分の行為や行動を抑制する事実を修正し、改善するわけです。
事実から連続性を持って試行錯誤し、修正し、改善し、事実の上に事実を積み上げ、そして、新しい地平の上に立ち、見た事のない景色を見るのです。
そして、夢や願望に至る事も可能になるのです。