毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は、現実や実体とは異なるフィクションの領域を生きている。

人間の生きている領域のかなりの部分は、フィクションだと感じます。

 

フィクションとは、現実的な事や事実に相当する事とは違う領域のものであって、想像する事とか、頭の中で思い浮かべる事とか、実体とは異なるものです。

 

言葉もその領域に相当するもので、言葉そのものは実体とか現実的に触れるものではありませんが、言葉を扱う事で、人のかなりの部分の領域を占めています。

 

想いのようなものは感情の1つですが、想いもフィクションのうちであり、想いで人を突き動かす事も十分にあり、人の活動領域の範疇と言えます。

 

感情という意味では、安心感や安全感も、非常に重要で、そのような状態の中で人は生きていて、逆に言えば、不安も反対の意味で重要で、不安に突き動かされて人は生きていると言えます。

 

安心や不安をどうするかは、人の活動の領域をかなり占めています。

 

夢や希望も、もちろん、フィクションの範疇であり、人がどの様な夢を抱くか、どのような希望を持つかで、生き方の質は大きく変わり、生きる事をかなり支えています。

 

その意味で、物語というものもフィクションの代表的なものであり、それが実体でなくても、現実とは異なっていても、人間にとっては大きな影響を持ち、人生をすら支えてくれます。

 

その意味で、フィクションとは、人間の精神的な領域のもので、物質的な事や現実的な事とは異なって、精神に関わる事を無視して、人は生きていく事が出来ません。

 

その意味では、信仰や宗教も、その範疇であり、人間はそれらに頼り、また、それらを支えにして生きているとも言えます。

 

また、自分の信念や意志も、自分自身のコアを形成し、自分の土台となり、精神を安定させ、それらは実体はないですが、十分に生きていく事を支えます。

 

ある考えやアイデア、哲学、思想も、十分に自分自身を支えます。実態に相当する確かなものが無くとも、人はそれをうまく活用し、自分を強くし、突き動かしていく事が出来ます。

 

愛のようなものもそうです。愛には実体はありませんが、愛する心があれば、人はそれを軸に生きていく事が出来ます。愛する気持ちによって、自分を安心させ、喜びをもたらし、突き動かす事が出来ます。

 

フィクションに相当するものは、他にもたくさんありますが、それらは実体もなく、現実的に触れるものでもなく、事実でもありません。

 

ですが、その領域は人間にとっては大きく、他のどの動物よりもフィクションの利用域は大きく、そして、それ無しに生きる事はできません。