確かに人は、恐れに向き合う事を避けてしまいます。恐れは恐れであり、自分の心を制限し、自由を奪います。だから、恐れなんて無いものとして過ごしてしまいます。
ですが、いくら恐れを無いものとして見ないようにしても、それで恐れが無くなったわけではありません。自分の中に抱いている恐れはそこに常にあり続けています。
恐れを見ないようにしても、あるものはあるんです。
そして、恐れに気付いていないからといって、恐れの効力が無くなるというわけではありません。
恐れは、その意味で、人の自由を制限し、奪う源になります。不自由の源泉です。
ですから、恐れをそのままに放置するわけにはいかないわけです。
とは言え、恐れを完全に消失させる事も困難です。不可能ではないですが、容易ではありません。
でも、完全に消失させないまでも、恐れに対して何か対処する事は出来ます。
だから、まずは恐れを認識する事です。見ないふりをしてもそこに恐れはあるわけですから、その事にちゃんと気付く事です。
無意識の領域に恐れを覆い隠さず、恐れを、そこに在るものとして認識するという事です。
恐れを、無意識下から引っ張り出し、明るみに出すと、それは確かに傷みを伴うかもしれません。
苦しみが生まれるかもしれません。確かに、ただでは済みません。だからこそ、恐れは無意識下にしまい込んでおきたいんです。
ですが、それで解決になりません。恐れは恐れとして、依然としてそこに在り続け、自由を制限し続けるわけです。
ですから、恐れはそこに在るものとして、認める事です。それが自由への大事な一歩です。
恐れは、自分の内部で力を振るっています。自由を制限する猛威を振るっています。
自分から余裕を奪い、エネルギーを奪い、落ち着きを失わせ、自分を制御不能にし、暴徒化します。
その力は無視できません。自分を奥底で突き動かします。
ですから、それを無視せず、無意識下に追いやらず、表に出すのです。苦しみや傷みが伴いますが、それでも、白日の下にさらすのです。
とは言え、まずは、ただその事に気付き、ただ認めるだけです。そこに在るという事実を知るという事です。
自分の自由が制限され、縮こまり、余裕の無い、落ち着きの無い、そんな状態が和らぎ、溶け始めます。
恐れを認めない事が、恐れの力を確かなものにしてしまっているわけです。ゆるぎないものにしてしまっているわけです。
ですから、そうではなく、恐れをただ認めるんです。まずは、それだけでいいんです。