毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は自分の捉えた世界を自らの変化とともに適応して生きていく。

自分はどのような世界を生きるのか。それは、きっと人によって違います。

 

人はこの世界の中で、上手く生きていけるように自分を適応させて生きていくわけです。

 

一体、この世界とはどのような世界なのか。

 

これを掴むのは実際には難しいわけで、自分なりにこの世界を掴んで、自分なりにこの世界を捉えて、捉えた世界の中を生きていくわけです。

 

人間は主観的な生き物ですから、実際には、そこにある世界を掴むというより、自分なりに世界を捉えるわけで、こちらの方が真実に近いわけです。

 

その意味では、この世界は、人によって様々であって、人の数だけ世界がある、と言っても過言ではありません。主観的な世界、という限りは、人間が多様であり、同じ人間が2人といない、ということであればそうなります。

 

ですから、主観的に、自分の世界を捉え、捉えた世界に対して、自分がどのように適応していくのか、そのようにして生きていくわけです。

 

そのように考えると、人はそれぞれ、自分の捉えた世界を生きていく事になります。隣にいる人と、同じ世界を生きていくわけではないのです。自分の捉えた、自分だけの世界を生きていくという事です。

 

それで人間は生きていけるのか、という事ですが、生きていけるかどうかそれは分からないですが、結局のところ、そのようにして生きていくのです。

 

とは言え、全く違い世界をそれぞれ生きているかというと、そうわけでもなく、この情報化された世界では、取り入れる情報は似たようなものですから、似たような世界を生きていくとも言えます。

 

とは言え、情報がいくら共有されるものであったとしても、情報も多様であり、世界は多様である事は変わりはなく、人それぞれ、捉えた、あるいは、捉えてしまった世界に適応して、違う生き方をしていくわけです。

 

主観的である以上、自分のものの見方や性質が反映しないわけにはいきません。自分がそういう性質だから、そのような世界を生きる事になる、とも言えます。

 

自分の身体の性質も関係あるかもしれません。自ら作り出した世界を、自分は世界だと信じ、そして、その世界に適応するのです。

 

そのようにして適応する世界も、不変ではありません。自分の主観性に基づく限り、自らの変化とともに世界も変化するのです。

 

自分がこの世界をどのように捉えるのか、自分の性質すらも反映するこの世界ですから、自分次第で世界は変わりうるのです。

 

自分がどのようにして生きていくかは、いかに適応しなければならないとしても、自分次第と言えるわけです。