毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分の中の「恐れスイッチ」を見直す。

恐れとは何だろう。自分の中に抱く恐れのほとんどは、その後どのように実現しているんだろう。ひょっとして、そのほとんどは実現していないのではないだろうか。

 

自分の頭の中で抱く恐れは、あらゆる事に基づいて生み出されます。それが確からしく生み出されるわけですが、確からしいからと言って、本当に実現するとは限りません。

 

また、確かに、その抱いた恐れのおかげで、何かを回避して、実現を阻止したかもしれません。

 

ですが、そのようにしてたくさん生み出した恐れの実現を阻止し続ける事で、はたしてそれが自分を良い人生に導いてくれるのでしょうか。

 

恐れを回避するのは人間の自然の性質ですが、この仕組みが強化されると、何事においても恐れの感情を生み出し、恐れを想起するわけで、そして、同時に、想起し、想像された恐れの実現を回避し、阻止する事が仕組み化されるわけです。

 

そもそも、それは本当に恐れる事なのか。恐れを恐れとして対処すべき事なのか。抱いた恐れの実現可能性は高いのか。

 

恐れの感情はあまり強く不快である為に、瞬時に反応して、何とかしようとしてしまいますが、「恐れ」スイッチが入りやすくなってはいないだろうか。

 

自分の中の数あるスイッチのうち、「恐れ」スイッチが一番入りやすく、手に届く押しやすい位置に置いていないだろうか。他の数あるスイッチの電源がオフになっていないだろうか。

 

そもそも、その恐れスイッチは正しく機能しているだろうか。役立った場面は過去にどのくらいあっただろうか。何かを回避し、何を阻止しただろうか。

 

そして、その恐れが実現したとして、それを自分は対処できないのだろうか。本当に死ぬのだろうか。

 

案外、大丈夫なのではないか。あるいは、確かにかつての自分ならその恐れを回避できず、死んでいたかもしれないが、今ならどうだろう。

 

意外と、容易に、余裕で、ひらりとかわせるのではないだろうか。

 

もしそうだとしたら、その恐れスイッチは役に立たないどころか、修理しなければなりません。そのままそのスイッチを使い続けると、関係の無い事に対処し、回避し、阻止し続ける事になるかもしれません。

 

人間にとっての恐れは、まるで自分の行動様式の根源のように作用します。自分の意識ではコントロール出来ない、意識下での自動制御装置として機能します。

 

でも、それをそのままにして、人間の性質をそのままにして使い続けていいのか、考えなければなりません。自分は、本当にそれを恐れるべきなのか。それは恐れなのか。