人間には、適応力というものがあります。この適応力を使って生存してきました。
適応力は、自分の生存確率を高めるために備えられた、動物一般に見られる性質です。
周りの環境に見て、その情報を元に様々な事を予測して、それに備えるわけです。確かに、それらの情報に基づいて準備をし、学習する事によって適応できるわけです。
ただ、無意識に適応し続けても、確かに生存の確率は上がるものの、幸せとか喜びとか、そういった事とは直接は関係ありません。
ただ、危機とか危険とか、生命を脅かす事に対して徹底して注力して適応しているだけでは、生命は存続されるものの、それが喜びとか幸せとかとは直接結び付くとは限りません。
現に、そのような適応を続けて、だんだんに生きるエネルギーと費やし、消耗し、精神的に生きていく気力が失われていく人も多くいます。人間は、ただ、生存のために適応し続ける事には限界があるのです。
適応とは、学習によって為されるものであり、支えているメカニズムは学習であるわけですから、自分の内部に学習によって作られた強力なパターンが、適応力を高めているわけです。
朝起きるべき時間に起きて確実に出社するパターンや、いつも美味しい料理を作りだすパターンは、日々の学習の結果であるわけです。
学習は他の動物同様、人間の持つ性質であって、それが適応力を支えているわけです。
適応力が、あるレベルの、あるいは、ある種類の生存を可能にする一方、ほとんどの人間はその段階で限界に達します。
この適応を続けていっても、自分を満たす何かは得られず、幸せや喜びとは縁遠いという事に気付くわけです。
ですから、適応力の質を変えなければなりません。適応力は人間に備わった性質ですからそれ自身を無くして、それに代わる何かを活用する事はできませんが、適応力を改善して工夫する事は可能です。
結局、学習によるパターン化によって適応してきたわけですから、そのパターンを変えなければなりません。今まで通りの学習を続けても、その壁を乗り越える事はできません。
自ら予測する未来や不安、危機や危険に適応する事が、本当に幸せや喜びにつながっているのか。この事については、考え直さなければなりません。
今の自分自身の仕組みが、学習されたパターンが自分をこれ以上幸せにしてくれるとは限りません。むしろ、自分の幸せにしないパターンなのかもしれません。
その強化された不幸せなパターンをいかに変えていくか。適応力はいかに変えていくが大事だという事です。