毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

苦しみは自分だけが向き合うべき、愛すべきもの。

苦しみは、誰にでもあるものです。苦しみですから、それから解放されたいし、それを退けたいわけです。

 

それは心の自然な作用です。苦しみですから、それに耐え続けるのは避けたい事です。

 

ですが、苦しみは自分の中に芽生えるものであり、他の人とは決して共有する事が出来ません。

 

苦しみの内容を説明する事は出来るし、言葉で説明する事で他の人のその苦しみを言葉のレベルで伝えて共有する事は出来ますが、真に、自分の苦しみを他の人と共有する事はできません。

 

苦しみはいかようにしても自分自身のものであり、自分だけのものであるわけです。

 

だから、自分が抱えた苦しみは、自分自身こそがそれに向き合わないといけません。

 

苦しいですから、避けたいし、退けたいし、それから逃げたいわけですが、苦しみは自分自身こそが抱えていますから、それからいかようにも逃れられないわけです。

 

非常に困ったものです。

 

ですが、その苦しみは自分だけでものであると同時に、自分だけがその苦しみを感じ取ることが出来るわけです。

 

苦しみは何かを意味しています。確かに苦しみとして感じているわけですから、それは確実に自分に対して重要な事を意味しているのです。

 

苦しいですが、その根源には、自分自身に関わる重要な事があるわけです。ですから、苦しみは、退け、無関心を装い、無視するのではなく、むしろ、がっぷり四つに組み合い、苦しみの根源を明らかにするのです。

 

苦しみは苦しいからこその苦しみであるわけだから、それから逃れて距離をとりたいのはやまやまですが、そこから引かず、逃げず、向き合うことこそが自分自身を解放に向かわせるのです。

 

身体は、あるいは、感情は、あるいは、心は、自分に嘘をつくことなく、正直に訴えています。苦しみとして、自分の中に、あるいは、自分の底に存在しているわけです。

 

この苦しみは自分だけのものであり、自分だけがそれをどうにかすることが出来るわけです。

 

この苦しみと向き合わずにして、一体自分は何をするのか。他に一体何をするのか、という事です。

 

苦しみこそ、自分を解放する、また、自分を理解する何かがあるわけで、苦しくてもそれにむしろしっかり向き合うべきなんです。

 

苦しみは自分にとっての重要な答えを持っています。自分にとっての答えを知りたいならば、やはり苦しみに向き合わなければなりません、

 

それは容易な事ではありません。炎に手を入れるように、苦しみに向き合うのは確かにつらい修行ではありますが、その苦しみは自分だけの苦しみなんです。

 

愛すべき自分の苦しみであり、愛すべき苦しみなんです。