人間が生きていく上で困難なのは、自分自身の内面と向き合い、これまでの自分では乗り越えられなかった壁を、いかようにしても乗り越えなければならないという事です。
人間は神ではないですから、何でも理解できているわけではなく、分からない事ばかりです。
それでも、分からないながらずっと生きてきて、それなりに生きていけるような気がして、でも、やっぱりどうやって生きていいか、分からないわけです。
他の動物と、その意味で、大して変わらないわけで、生まれてからずっとかなりの事は分からない中で、そして、いつまでも分からない中で、でも、それなりに何かを掴みながら生きていくしかないわけです。
分からない事を前提しながら生きていくわけで、その意味では、ほとんどの事は確かに分からないわけですが、その分からない中でも、やはり、自分なりに自分を越え出ていかなければならないわけです。
何らか、言語化して、見える化出来なくてもいいわけです。自分なりに、何か掴めればそれでいいわけで、とは言え、それが大変なわけです。
自分を超えていくわけですから、少なくとも、これまでの自分ではいかようにしても超える事はできなかったわけで、その超えられない状態から、何とか越えなければならないわけです。
普通に考えて、今まで超えられなかった壁を、今こそ乗り越えようとするわけですから、無謀にもほどがありますが、でも、それを避けて通る事が出来ないわけです。
乗り越えた先がどのような景色なのかは、越え出てみなければ分からないわけです。越えようとして方向も、その方向が越えた先にあるのかどうかも分からないわけです。
それでも、超えた先の景色も方向性も何もわからなくても、とにかく越えようとしなければならないわけです。
でなければ、そこでいつまでも留まって、停滞し、動けなくなり、エネルギーを失うわけです。それこそ生きていけないわけです。
ですから、何らか自分なりに突破口を見つけないといけないわけで、この困難さに立ち向かわなければならないわけです。
困難なのか、苦難なのか、とにかく、それと向き合って、答えの見つからない問いを立て、それに挑み、何かを掴む。これまで超えられなかった何かを掴み、そして、前進する。
その前進が、想定していた方向とは異なっていたとしても、きっとその方向だと信じて、それでもなお己の乗り越える先にあるそれを掴もうとして、もがき苦しむわけです。
いずれは、自分と向き合って、乗り越えねばならないわけです。