人が生きるというとは、どういうことを言うのでしょうか。
実際、ただ生きているという事はあるだろうし、それを生きていると言えないわけではありません。
ですが、人が生きていると実感するときというのは、何か漫然と生きるのとは違った、ある種の強度を伴ったものではないかという感じもします。
人はよく、どん底を経験した後に生きる事を実感するというような事を言ったりしますが、何故どん底を経験しないと生きるという事を実感できないのでしょうか。
別にどん底を経験しなくたって人は生きているし、ずっと楽で、のんびり生きるのもそれはそれで生きていると言えるわけです。
ですが、振り返った時に、その「どん底」の経験が、もっと言えば、そのどん底の中にありながらもその事に向かい合って乗り越えようとしていくその経験が、生きる、という事に何か実感を与えるような何かがあるわけです。
普段ただ暮らしている中では、そのように、生は脅かされないし、そこに生きる喜びや楽しさはあるわけですが、人間には、また別の種類の生があって、どん底の経験というものが、自分の生をより確かなものにする、というものがあるように感じます。
一方において、誰しも、どん底の経験、あるいは、どん底の人生なんて歩みたくないわけです。
どん底というわけですから、その「底」は一時的なものであって、その一定期間が人生のくぼみみたいに最も低く、その後は浮上していくからこそのどん底であるわけですが、どん底を経験している最中は、まさにどん底であって、苦しみ以外の何物でもないわけです。
やっぱり、普通に考えて、そんな経験はしたくないわけです。
ですが、経験的に、人は、あくまで後になってですが、そのどん底の経験が、自分の人生を大きな意味を与えたり、喜びを与えたりする事を知っているわけです。
ですから、この事を理解したならば、どん底の経験こそが人生のチャンスなのではないかと思って、そこに積極的に向き合い、より深い「生きる」という実感を求めようとするわけです。
そして、確かに、人はそのどん底の経験によってこれまで知ることの出来なかった事を体感的に理解し、自分だけの唯一の生を得るわけです。
確かに、人は生きる実感を求めています。ただ生きるというのも生きることだし、穏やかに楽しく生きる事ももちろん生きるではありますが、もっと生きているという実感を求めているし、より深い、未知の、自分だけの何かを生きる事の中で強く経験したいんです。