毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「役割」が人が生きる事を可能にする。

「役割」とはよく言ったもので、人は役割が大好きです。

 

人は昔から社会の中で役割というものを作り出して、自ら名乗りを上げてその役割につく者もいれば、役割を与えてもらう事でその役割を自分の役割とする者もいたわけで、とにかく人は役割が好きなんです。

 

確かに、役割というものは便利なもので、役割というものを上手く配置し、そこに人を配置する事で、その社会は自ずと回っていくわけです。

 

人が役割を上手く回していくのか、あるいは、役割が人を上手く回していくのか、いずれにしても、役割は重要な機能をはたして、結局は上手く回っていくわけです。

 

もちろん、上手くいかない役割もたくさんあります。要らない役割もたくさんあるし、ダメな役割もたくさんあります。それでも、役割はいつでも求められていて、役割という椅子が出来れば、放っておいてもその席はすぐに埋まるわけです。

 

きっと、役割は人間とよほど相性がよく、人間をエンハンスし、人を喜ばせ、人を動かし、人に力を与え、人に生きた心地を与えてくれるんです。

 

むしろ、役割こそが、人に人であるための生きるエネルギーを与えて、命を吹き込んでいるごとくです。

 

人は一人では生きていけません。人同士の協力なしに、人は生きていく事ができないわけです。

 

ですから、どうしても、人は人同士でつながりを持たなければならないし、人同士のネットワークを形成する必要があるわけです。

 

きっと、その時有効なのが役割であるわけで、役割が人をつなぎ、人のネットワークを作るんです。

 

そもそも、人が人なるためには役割が必要であるかもしれなくて、役割が無ければ、人は何らかの形を持てないのかもしれなくて、その意味で、役割が人に人としての機能を、つまり、人である事を可能にしているのかもしれません。

 

自分はそもそも何者なのか。何者かという事で生を与えられてはいないわけで、何者でもないただの人が、ただの人として生きていく事なんてできないわけで、役割に自分を当てはめる事で、初めて人はそこで生きていくのかもしれません。

 

役割が、人をつなぎ、役割が、人のネットワークを形成し、役割が人を人と為し、それが、実は、人が生きる事を可能にしているのかもしれません。

 

そうでなければ、人同士のつながりは無くなり、ネットワークは崩壊し、人が人として成り立たなくなるのかもしれません。そして、ただ人は当てもなく漂い、ただ蒸れたり離れたりして、他の動物と何も変わらず、生きるだけになるかもしれません。