毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

社会はただそこに在って、結局自分はどう生きるか。

人間は、一人では生きていけないから、どうしたって他人に頼らなければなりません。また、社会に頼らなければなりません。

 

自分が生きる足場を、人間社会の中に置かなければ、人は立って生きる事が出来ません。また、社会は、そうやって、みんながネットワークになって支え合いながら互いの足場になって形成されているわけで、社会に頼りながらも、社会の一部として構成されながら、人は生きているわけです。

 

人がどのように生きているのか、また、社会はどのようになっているのか、その事を気にすること無しに、独力で生きていくのは極めて難しい事です。

 

そこに、教科書なんてあるわけではありませんし、正解なんてものも無いわけですから、自ら関わって、自ら経験的に学んでいくしか、人の生き方や社会の在り方なんて分からないわけです。

 

それらが分からないうちに、当然生きるのは大変であるわけで、でも、完全に分かる事なんてありませんから、その意味では、いつまでも大変であるわけです。

 

社会は社会でそこにあって、昔から形を変えながらもずっとそこにあって、最適でもなければベストでもありませんが、それ相応に、ずっとそこに在り続けているわけです。

 

その事に、良いも悪いもありません。いくら悪く見えたからと言って、文句ばかり言っても、そこに社会はあるわけですから、それを無理に自分が思う正しい在り方に変えようというのは、難しい事です。

 

社会が仮に悪く見えたとしても、それ相応にそこに在り続けて、多少手を加えながら、でも、ずっと手を加えてきながら、出来る限り、改善されたシステムにはなっているわけです。

 

自分にとっていくら不都合に見えても、実際にいくら不都合でも、だから自分の思うように変わってくれるかというと、そのようにはできません。

 

とは言え、社会は良く出来ている面はあって、何かあれば応えてくれるし、何かあれば助けてくれるし、ただ、どのように関わるか、どのようにアクセスするか、それだけの事です。

 

人間は確かに一人では生きていけないわけですが、結局、いくら喚こうとも、社会がどうあれ自分はどう生きるのか、それでしかないわけです。

 

社会はただそこに在るだけです。石がそこに在るように、社会もただそこに在るんです。

 

自分がどう生きるかが決まっていなければ、社会はそれに対してどうにもしてくれないし、逆にただ自分が社会に振り回されるだけです。だからと言って、社会が悪いわけでも何でもないんです。

 

ただ、自分がどう生きるかなんです。