毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人と関わる事で満たされない自分を埋めようとする:自分と向き合う

人は、自分自身の無さ、みたいなものに困っているわけです。自分自身の満たされなさ、みたいなものを何とかしようともがいているわけです。

 

自分を自分で満たしてあげられないものだから、人に何とかしてもらおうとしてしまうわけです。人と関われば、きっと人は何かフィードバックをくれて、それで満たされるような気がするわけです。

 

何か満たされるような期待感があるわけです。

 

人は、何か自分に満たされなさがあるものだから、でも、何か自分を満たしてくれるものをどこかで期待しているわけです。そして、自分だけではどうにもできないから、他の人に何とかしてもらおうと期待をしてしまうわけです。

 

確かに、他の人に関われば、何かしらフィードバックはあるから、それによって何か期待していたものが満たされたような気がするわけですが、それでは満たされないわけです。

 

人に関わっても、なかなかそれでは何か期待されるものは満たされないわけで、限界があるわけです。

 

でも、一方で、何か人に関わる事で得られるものがあるものだから、また、果敢に関わろうとしてしまうわけで、自分だけでは満たさせない何かを過剰に期待してしまうわけです。

 

確かに、人は自分だけで自分を支えられないわけで、他の誰かの支えは必要です。

 

ですが、他の人に何とかしてもらう事に過剰になると、それが常に必要になって、ずっと人と関わっていないといけなくなってしまいます。

 

人への期待が、過剰な期待になって、関わっても、関わっても、満たされず、足りないわけです。

 

そうなると、やはり、過剰な期待、というものが問題になるわけです。

 

過剰な期待も、結局は何を求めているかがはっきりしていなければ、満たされる事なんて無いわけです。

 

問題は、自分の満たされなさ、自分の無さ、であって、これはやはり自分でどうにかしないといけません。

 

理想的には、自分で自分を満たしてあげればそれで解決するわけですが、それが難しいから人に関わり、人に頼り、人に依存するわけです。

 

ですが、それを放っておくと、共依存のようになり、過剰な期待に膨らんでしまうわけです。

 

ですから、自分の満たされなさ、自分の無さ、を自分で何とかする。その態度は必要です。

 

それは、自分とちゃんと向き合っていないからかもしれません。自分の感情にちゃんと認識していないからかもしれません。理解していないからかもしれません。

 

ですから、やはり、心を静かにして自分と向き合い、自己認識や自己理解を進める必要があります。自分の気持ちをしっかり受け入れる必要があるわけです。