人は、自分のポテンシャルを発揮したいもの。自分のまだ見ぬ潜在的な何かを発掘して、それを発揮したいと願っています。
それが何なのか、わかっていたら今からすぐにでもそれに注目して、それが発揮されるように取り組むんですが、それが分からないものだから、まずは何かをやってみようとするわけです。
何か経験をしてみようとするわけです。やっているうちに、気が付いたらそれが発見されるのではないかと。期待しているわけです。
確かにそれは1つの案です。実際、そのようにして、色んな事をやっているうちに自然と顕在化され、いずれはみなそれを活かして今があるわけです。
同時に人は、自己分析をするわけです。あらゆる経験から自分の潜在的な何かがすでに現れているわけですから、それを逃してはなりません。
自己分析とは、要は、具体的に明確にするという事です。見える化するという事です。すでに現れてはいるわけですが、言葉として明確にしていないから、それが何なのか掴めないわけです。
掴めなければ、それを積極的に、いつでも、効率的に、発揮できないですから、まずは言語化して明確にするという事です。それが、自己分析という事です。
そのようにして潜在的だったそれを言語化して、表に出して、言葉にして、自分で自由に操れるようにすれば、これからは、それを意識的にいつでも使えるようになるわけです。
効率的に、自分の潜在的だった力を実際に発揮できるようになるわけです。それを望んでいるんです。
精神は、確かに、自分のポテンシャルを潜在的な状態から顕在的な状態に現す事によって、自分自身に認識され、安定するわけです。自己効力感のようなものでしょうか。
でも、そうでないと、いつも、自分のポテンシャルが発揮されているのか、されていないのか分からず、自分の目の前に効率的に現れてこないものだから、いつまでも、自分はできると安心できないわけです。
それは、自己効力感によって、精神が保たれるという事を言っているわけです。
その意味で、人は、自分のポテンシャルを発揮したいんです。でも、確かに、自分のポテンシャルを発揮する事で、物事を動かし、物事を変え、コントロールする事ができ、それが、心地良いわけです。力を感じるわけです。
自分自身の目の前に広がる世界を自分の力で変え、世界をコントロールできたなら、心地良さを感じるとともに、力を感じるわけです。
ですから、人は自分のポテンシャルを発揮したいんです。自分の潜在的な何かを発見し、発掘し、発揮したいんです。