毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

なぜ人は、誰かに話を聞いてほしいのか:新たな自分が生み出される

人は、話をとにかく誰かに聞いてもらいたい、そういう生き物だと思います。それは、言葉や文章に限りません。あらゆる表現方法によって、聞いてもらって見てもらいたいわけです。

 

独り言では、どうにも済まないわけです。鏡で自分を見るだけではどうにも済まないわけです。

 

きっと、何かリアクションを求めているわけです。自分ひとりで会話をしても、自分の話にリアクションをするのは自分であるわけで、大した新しいリアクションは無いわけで、ただ自分の中でループしているだけです。新しさを求めているわけです。

 

そもそも、人に何かを話しするとき、話す内容を1から10まで全部準備してから話始めているわけではありません。人と話をするときに、「今から1万字に相当する内容の話をするんだけど、聞いてもらっていいかな。」なんて言って話をする事なんてありません。そんな事を言ったら、逆に誰も聞いてくれません。

 

人は、話をしているうちに、自分の思っていた潜在的な何かが言葉として出てくるわけです。そもそも、何かたくさんの分量の具体的な事を話そうとなんて思っていない状態で話し始める事は多いわけです。

 

潜在的に、自分の中に何か話をする内容があった、という場合もあるし、そもそもなにもなかったけど、話しているうちに、言葉とともに新たに新しいことが生成してくる、という事もあるわけです。

 

相手はただ話を聞いているだけではあるのですが、話している本人は知らず知らずのうちに、それ以前にはなかった新しい事を、その会話の中で生み出しているわけです。

 

でも、話ながらにしてあたかも自分はそのような事を考えていた、とでも言うような顔をして話をしたりするわけです。

 

結果的に、人と話をする事によって、言いたい事を聞いてもらうだけでなく、新しいリアクションもくれるし、もちろん、気持ちを受け止めてくれるし、そして、実は、話をしているうちに、自分の中から新たな何かが生み出されたりもするわけです。

 

自分に対する新しい発見もあるわけです。あるいは、新しい発明もあるわけです。

 

人と話をするということには、このようにもあまりにも多くのポテンシャルがあります。得るものを多いわけです。そのような期待があるわけです。

 

ですから、人は人と話をしたいし、聞いてもらいたいわけです。それだけで、生きた心地を取り戻し、息を吹き返す勢いです。

 

一体、人は何故こんなにも人と話をしようとするのか、自分だけでは満足いかないのか。満足いかないわけです。話をしたいんです。