人は基本的に快適さを求めています。暑すぎるのも嫌だし、湿度が高過ぎるのも嫌だし、気圧が低すぎるのも嫌なわけです。
自分のいる環境が快適でないと、身体が正常に働かないので、それだけで苦しいわけです。
快適さという意味では、身体が快適である事も重要です。身体が不快だと、肩が痛いとかお腹が痛いとか、そういった事にのたうち回るわけで、そうなったら、日常生活なんてまともに送れません。
ウィルスをもらって風邪なんか引くと、熱も上がってそれだけ何も出来なくなります。身体の不快さもとても重要であるわけです。
身体の状態が良くても、頭の中の不快さも煩わしいわけです。頭の中に、いろんな悩み事や苦しみを抱えていると、それが不快の元となり、精神的な苦しみとなります。
精神が苦しいと、身体は元気でも、すぐに身体は動かなくなります。精神と身体はつながっているので、精神の状態が身体に移ってしまうのです。
人間にとって、あらゆる不快さの原因はあって、この不快さからいかに脱却し、また、不快さを回避して、快適な状態に持っていくか、このような事は日常においてはとても重要であるわけです。
とは言え、人間にはある程度の不快さに対する許容度は持っているので、少し不快な事があってもそれに耐えて、快適な状態も戻る事が出来ます。不快さに対しては、ある程度耐性を持っている方が良いという事です。
ですが、無理をすると、不快さに耐えられなくなってダウンしてしまいますから、その見極めは重要です。
人間はそのようにして、不快さと快適さの中を生きていて、いつも快適さを求めているのです。
人間は色々ですから、自分にとっての快適さがどのようなものかも意外と分からないものです。ですから、自分にとっての快適さとは何なのか、追い求めるのです。
不快さから逃れると、それはそのまま快適さにつながりますが、快適さはそれ自体として存在するものでもあります。
自分にとっての快適さに出会えたら、どんな不快でつらい時でも、その快適さとともに生きていく事はできるのかもしれません。
とは言え、暑い日もあれば体調が悪い日もあります。不快な日はよくあります。そのような中で、人は常に快適さを求め、自分にとっての快適さを模索し、追求するんです。
そして、自分だけの快適さを獲得して、快適に生きるこの瞬間を満喫しながら、生を充実させるのです。
どんなに不快でも、それを乗り越えれば、きっと自分だけの快適さは見つかるはずです。