毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

余白が選択肢を生み、無限の力を解き放つ

人は、余裕を作る事を求めています。一呼吸おいて、何もない状態=余白、を作り出そうとします。

 

その余白に、何か、次のステップにつながるような気がするわけです。その余白を次へのステップに活かす何かにしようとするわけです。

 

余白が無ければ、ずっと何かをし続けるわけですが、ずっと何かをし続けてそして何も変わらないわけです。余白が無いから、ずっとそのまま変わらないわけです。

 

ですが、余白を作り出すことによって、その余白で、これまでの流れをいったん止めるわけです。そして、その流れを変える事ができるわけです。

 

その余白に立って、選択肢が生まれるわけです。川の流れがずっと一方方向にあったものが、途中で余白に立つ事によって、幾つかの分流に分かれていくわけです。

 

確かにその流れは自然と分かれていますが、分流に分かれていく地点が余白として機能して幾つかの分流にまるで選択肢をもって分かれていくわけです。

 

そうでなければ、川はそのままただ一本の川として流れていくわけです。

 

ですから、余白には余白の機能があって、自然と流れていきつつも、いったんそこで止まり、佇み、流れを変えるチャンスが生まれるわけです。

 

余白としての広いスペースは、広いスペースであればあるほど、選択肢は増え、余力は生まれ、保持されるわけです。

 

常に、水は流れる力を備えていますから、その力は余白で留まり、堰き止められながらも、そこにただ静止しているわけではなく、機会があればどっとその力を解き放つわけです。

 

順調に流れているうちは、確かにその流れに身を任せて只々流れていけばいいかもしれませんが、いったん余白としてプールされ、そこから分岐する力を蓄えてもいいのです。

 

力は常にあるわけですから、それを無理に押し流そうとする必要もないし、ただ、その余白でいったん蓄えて、それから、幾つかの選択肢について考え、もしその選択肢が決まったなら、そこに力を注いでもいいわけです。

 

その意味で、余白では力が生み出されるわけです。力は常にあるわけで、それは無限に力がある事を意味していて、余白でその力は無限に生み出され、自由に使えるわけです。

 

ですから、無理をする必要もないし、順調にそのまま進んで行ってもいいし、でも、いったん余白を設けて、そこに留まってもいいわけです。そこに留まって、余裕を作り、力を無限に生み出し、幾つかの選択肢について考えるんです。

 

そして、その選択肢が決まったなら、堰き止めていたその力を、その方向に解き放ったらいいわけです。