人間は、他の動物とは違って、脳が発達していて、その為に、主観性というものを生み出す能力を持っています。この主観性は、ある面、自分というものを自分という世界に押し込めているわけですが、それが、人間の個体としての性質を強調しているわけです。
ですから、集団や組織を形成する場合にも、人間の場合は特に、個人の性質を無視する事はできません。主観性がそんなに無ければ、個体という性質もあまり帯びていなくて、蟻や蜂のように、種として集団を形成できるわけですが、人間はそうはいきません。
人間は、個体としての性質が強いですから、どうしたって、個体の性質を考慮すること無しに、集団や組織は形成できません。
この主観性という性質によって、人間は物語を生み出すわけで、言葉は物語のうちの1つです。物語を想像する事によって世界を捉え、主観的な世界を人は生きているわけです。
ですから、他の人とつながりを持ったとしても、各々の物語を媒介する形でしかつながり事はできないわけです。物理的には、他の動物と同じくつながる事はできますが、高度な脳を持つ人間としてつながるには、物語を介してでなければできません。
言葉は、物語を共有させるうえで非常に重要なツールになります。
もちろん、人間は、感覚器官を持っていますから、その代表としての視覚のイメージは、物語に強く影響します。その意味では、言葉だけではなくても、視覚的なもの、画像や映像のようなものから成る物語を介して人とつながる事も可能です。
つながる事は、人間が人間同士で生きていく上で非常に重要な事ですが、その重要な役割を果たすものが物語であって、物語は人が生きる上でかなりの部分を占めるわけです。
いかに他の人との物理的に一緒に居ようと、自分の物語とともに人は生きているわけで、いかようにしても、自分が創り出した物語とともに、あるいは、物語の中を、人は生きないわけにはいきません。
主観性という意味では、人はいかようにも孤独であり、自分の物語と向き合わざるを得ず、自分にとってのかなりの領域を自分の物語が占めているわけです。
昨今、情報が注目されていますが、情報も物語の一部ではあるものの、情報は役に立つものであり、デジタルと相性がよく、ある面で、ノイズの無い、つまり、無駄の無いものと言えるわけです。
ですが、物語は、その意味ではアナログであり、役に立たないものも含み、ノイズだらけの、無駄だらけなわけです。
ですが、それでも、人は物語の影響を強く受け、物語の中を、あるいは、物語とともに生きていくわけです。