毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「退屈感」は自然なサイン:自己成長へのきっかけ

退屈感は、何か不快で、落ち着かなく、居心地が悪いものです。だから、この状態から脱して何とかしたいと思ってしまいます。

 

多くの人がこの退屈感が嫌だから、スマホをいじったりネットの記事を見てしまったりするわけです。

 

ですが、この退屈感は、人間にとっては極めて自然で、普通の事です。

 

単に、外部の刺激が落ち着いて無くなったから、自分の内側からのざわめきが聞こえるような気なってきた、そんな感じです。

 

人は、自分の内面に、嫌な事、嫌な記憶、不快な事を抱えていて、また、不快な身体感覚も抱えていたりします。

 

そういった事は、何かやっている時や忙しい時は気付かずにいるわけですが、落ち着いてきたり、時間が出来たりしてくると、そういった状態がやって来るわけです。

 

周りからの刺激が収まって無くなった結果、落ち着いた状態になって、そして、変な言い方ですが、落ち着かなさ、に気付いた、という事です。また、不快感、嫌な気分、不安感、そういった事を、高い強度で、というより、微妙に感じるわけです。

 

だから、ざわざわしたり、モヤモヤしたり、よく分からない、微妙な不快感が漂ってくるわけです。この感じが嫌だから、つまり、この「退屈感」を何とか無いものにしようとして、スマホをいじってしまうわけです。

 

ですが、この「退屈感」は人間にとって極めて自然で、その不快感は確かに、自分の身体や内面が、自分自身に何気なく訴えてきているわけです。確かに、何か問題は在って、それらを解決すべく、微妙な感覚として訴えてきているわけです。

 

ですから、それらが一体何なのか、自分と向き合って明らかにしていく事が大切であるわけです。自己理解を進める機会になるんです。

 

そして、この「退屈感」は、自分自身に、新たな行動を促してきているわけです。人間は本来行動する生き物ですから、何か空白の様な状態が生まれたら、じっとせずに行動させようと内側からメッセージを上げてきているわけです。

 

確かに不快ですが、それは自分自身について考える、また、自分の事を解決する為のメッセージであるわけです。

 

この状態を、ちゃんと向き合い、考える事によって、自分を知り、自分の潜在的な何かを明らかにし、そして、新しい行動のきっかけを生むわけです。それは、自分の成長につながるわけです。

 

確かに、退屈感は、微妙に不快で、落ち着かず、居心地が悪いものです。ですが、それは悪い事ではなく、むしろ、自分にとって自然な状態です。ですから、退屈感を感じたら、この感情とともにその時間を過ごし、居心地の悪さとともに自分に向き合って、自分の成長のきっかけにするんです。