毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

時間を気にせず過ごす:時間の無い不自由から時間を感じる自由

時間を気にせず過ごすことができたら、どんなに心地良いだろうかと思います。時間を気にしなくても良いということは、しばらく特に何かをやる必要がなくて、その間は何をやってもいいわけですから、それはまるで自由です。

 

仮に2時間くらい何も気にせず過ごしてもいい状態だったら、本当に何もしなくてもいいし、ただ何かしたいことがあったら何をやってもいいわけです。その時間には、何の制約もなく、自由なわけです。2時間とは言え、まるで永遠の時間のように感じられそうです。

 

逆に言えば、時間を感じられずに過ごすというのは、非常につらい時間と言えます。つらい時間も何も、時間を感じていないわけですから、それは全く余裕がなく、忙しく、慌ただしいわけです。

 

時間がないとは、落ち着く暇がない状態であり、快適さも心地良さも何もありません。

 

時計の時間は進んでいるとしても、自分にとっては時間がないわけだから、つまり、心を自由にさせる時間は一切ないと言っているわけです。

 

その意味で、自由とは、時間があるということを指しているわけです。時間が感じられないということは自由はないということであって、時間があると感じられて初めて自由があるのです。

 

その時間は、自分の時間であり、自分のために使っていいわけで、人のために自分の時間を使ってもいいわけで、どのような使い方もして良いわけです。

 

何もしなくてもいいし、何かをやってもいいし、そこには、選択の自由があり、何かをして良い選択があり、何もしなくてもいいという選択もあるわけです。あらゆる選択があるということなのです。

 

何かをやってもいいし、休んでいてもいいし、寝ていてもいいし、眠れなくても寝っ転がっていても良いわけです。

 

生産性を一切気にしなくていいし、誰かの目を気にしなくてもいいし、周りのことを一切気にしなくていいわけです。逆に言えば、生産性をすごく気にして、誰かの目をすごく気にして、周りのことをすごく気にするということは、全然余裕がなく、落ち着かず、時間がないという状態と同じであるわけです。全くの不自由です。

 

その意味で、時間は明らかに、自由と関係していて、人のこと、周りのことを気にしているというのは、非常に不自由であって、時間がないのであって、そのことから解放されるというのは、自由があるということであって、時間があるということなのです。

 

ですから、時間を感じるということは、自由があるということを示す重要なステップであって、最初のステップなのです。