毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

頭の中の「何か」:形なき不安を明確な「言葉」にする

一体人間は、自分の頭の中に、何を思い抱いているんだろうか。よくそのように思います。

 

頭の中に、何か想起されて、それについて考えてしまっているわけです。あるいは、それは、感情によって生じたものかもしれません。

 

人間は、情動によって突き動かされるところがあるから、それをどうにかしようとしているのかもしれません。

 

また、想起されると上で述べましたが、何かイメージを頭の中に抱いているのかもしれません。一体それが何を意味しているのか、知りたいわけです。

 

人間は、考える事が出来ますから、何か自分の頭の中に抱いたものについて、思考を使わずにはいられません。とにかく、その正体が何なのか、明らかにしたいわけです。

 

人は言葉を使いこなす事が出来ますから、何とか、頭の中に抱いた、その「もやもや」を言葉にしたいわけです。思考とともに、言葉を使って明らかにしたいわけです。

 

明らかにしたいとは、もはや、言語化するという意味です。

 

言葉とともに、人間は、概念を取り扱いますから、概念として形にする事でもいいんです。頭の中によく分からないものとして生じたものを、概念にしたいわけです。

 

ただ、思考や概念によって、言語化を試みるとしても、それらの発端の一部は、感情によるものであるわけで、感情にどのようにしても突き動かされてしまう人間にとっては、つかみどころのない感情から派生したものを、何とか、言葉として分かる形として昇華したいわけです。結晶化したいわけです。

 

それは、感情から生じたものが、形がなく、形として制御がきかないから、それによって自分自身が不安定化して、振り回されて、落ち着きが無くなって、自分自身を失ってしまいかねないかもしれないわけです。

 

自分自身を制御できなくなるからなのかもしれません、

 

それは、不安であり、心細く、不快だからなのかもしれません。

 

ですから、どうしたって落ち着かないから、何とかそれをはっきりさせて、何か取り扱えるものに形作って、触れるものにして、心を落ち着かせたいわけです。

 

人間は、確かに、未知なものは苦手です。不明な事、分からない事は、苦手で不快に感じます。

 

だから、何としても、そのようにして、頭の中に抱かれた、どうにも落ち着かないものを、形の無いものを、何とかしたいわけです。

 

概念であれ、抽象的な何かであれ、思考を巡らせて、言葉として表現したいわけです。分からないモヤモヤをそのままになんかできないわけで、何とかそれを明らかにしたいんです。