毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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「情報」と「過密化」の現代:もっと広がる「個人の領域」

世の中がグローバルにつながり、情報化とともに社会が急激に発展してきた一方、都市化とともに人々が物理的にも過密化した生活を送るようになってきたと思います。

 

一部の人は、うまく情報やメディアを使って、田舎暮らしをするなどしていますが、大半の人は、都市部に住んでいて、人との過剰な関係性の中で生きているように感じます。

 

本来、人は、そんなに過密化した状態の中で生きる生き物ではないように思います。

 

数百年前の植民地化が進んでいた時代のことを思うと、グローバルにつながったことは、地球上の知らなかった人たち同士が知り合うことができるようになり、知らないがゆえに無駄に敵対する状況も減って、生きやすくなったと思います。

 

ですが、今度は、情報も過多になり、情報も人も過密化して、一方で、過疎化して、生きるのが困難な面もかなりあります。

 

もちろん、情報のおかげで、自由度も上がって、集団から個人へと生き方もシフトしてきている面もあり、人同士の過密すぎない生き方も可能になってきています。

 

仕事の種類も多様になり、より様々な生き方が可能にもなってきています。

 

ですが、現状では、会社など人の多い組織では、人同士の関わり、あるいは、やり取り、メールや打ち合わせ、組織上のことなど、無駄に時間やコストがかかるようになってきて、生産性の頭打ち感があります。

 

実際、人同士のやり取りには、一定のコストがかかるんです。

 

その意味で、潜在的に、人はもう少し過密状態を避け、個人としての適度な距離感に保ちたいというニーズがあると考えられます。

 

情報技術はかなり発展してきているので、実際、ITをうまく駆使すれば、もっと人との距離はそんなに過密化しなくてもよくなるはずで、現に、すでに、人との適度な距離を保ちながら個人で生きている人はたくさんいます。

 

きっと、これからは、そのような流れがもっと期待されると思います。どう考えても、組織など、過密化が進みすぎています。本来の人間のポテンシャルからすると、もっと人との距離は離れていていいし、個人の領域は広くていいはずです。

 

人間の持つ自律性という観点で言い換えても、過密すぎると、自分自身の自律性を保つことができません。人が多すぎると人と人とのコミュニケーションに偏りが生じ、自由度が減り、自律性の低下とともに、自立性も低下します。

 

人間は本来、もっと自立性を保つべきです。

 

そのように考えると、個人化がより進むニーズはあると思います。人間本来のポテンシャルを考えても、もっと個人として生き方の範囲が広い方が良いように思います。

 

情報技術がもう少し進むことで、人と人の間の相互作用やコミュニケーションを適度に調整して、個人が個人として生きていきやすくなるのではないかと思います。