自助の精神とは読んで字のごとく、自分自身で自分を助けるということであって、経済的な事だけではなくて、精神的な事でも自分の事を自分で何とかする、という事です。
もちろん、人間ですから、何から何まで自分ひとりで自分の事を成り立たせる事はできません。必ず他の誰かの助けを必要とします。赤ちゃんとして産まれて自助力でもって、自分を成り立たせることなどできません。
生物の進化からすると、特に哺乳類は、自助力のみ生きていく事はできないわけで、生まれてからしばらくは自分以外の助けが必要であるわけです。
そして、その力によって、他の種よりも生存確率を上げてきたわけです。
ただ、どんな哺乳類も、発達とともにかなり早い段階で自分の力に頼って生きていくようになるわけで、どうしてもそのような事が必要になります。人間にも、自分でどうにかする、すなわち、自助力が求められるわけです。
一方で、自助力は、人間に備わった健全な力でもあって、自分の自助力で生きていこうとする事も、極めて自然なわけです。
いつまでも、自分以外の何かに頼って生きるよりも、自分の力で生きていく方が結局良いわけです。
繰り返しですが、もちろん、自分の力だけでは生きていけません。
ですが、自分自身に備わった自助力によって生きていった方が、自分自身を豊かにし、幸福にし、元気にするわけです。
かなりの部分は自分の力で何とかなるわけですから、全ての領域でないにしろ、自分で何とかするようにしていった方が自分の為にも良いわけです。
自助力は、ちゃんと使ってあげる事で、筋肉のように、鍛えられるわけです。言い方を変えれば、使わない筋肉は鍛えられず、衰えるように、使わない自助力は、鍛えられず、ただ衰えるのみです。
人間の適応性は、環境に依存します。社会が盤石なら、盤石な社会に人間は適応するし、社会が盤石でないなら、盤石でない社会に適応するわけです。
ですが、自助力は、環境がどうであれ自分で何とかするのであって、その力は自らに備わっているという事です。
結局その力が、自分以外の人たちに役に立つわけです。共助や公助は、自助があって成り立ちます。
ですから、確かに、完全に自分の力だけでは生きていけませんが、自助の精神を大事にして、自分で自分を何とかしようとして生きるんです。
結局はその生き方が自分自身を助けるし、その結果として、社会にも助けになるんです。自助の精神がひとりずつ失われていくと、当然社会は脆弱になっていきます。
いかに社会が盤石でも、人は自助の精神を常に必要とするんです。そして、結局その方が自分を助けるんです。
筋肉と同じく、自分に備わった自助力を使うんです。