毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自律性と自立性を備えた人間と社会。

社会はいつだって、自律性を求めています。自律的な人間を求めています。自律性が失われていると、社会は硬直になって、動かなくなってしまいます。だから、自律性が重要なんです。

 

それは、生物や細胞の話と同じで、細胞が自律性を持っているからこそ、全体性としての生物は成り立っているのであって、細胞ひとつひとつの自律性が失われれば、生物は死に絶えてしまいます。

 

とは言え、生物にも、パーツ毎に、何らかの統合性あるいは秩序があって、秩序が無ければ、混沌としたモザイク状のものになって、生物として成立しません。

 

その意味で、社会も同じく、統合性が社会の維持には欠かせないわけです。

 

とは言え、人間の自律性があってはじめて、統合するかしないかという話が出てきて、そして、上手く統合されると社会が形成されるわけで、自律性あっての社会であるわけです。

 

自律性の無い社会は、社会ではありません。

 

人間は自律性を発揮するとともに、自立する事も大切です。

 

社会は、秩序を備えて、統合されて成立していますが、何かあれば容易に崩壊します。人間同士で成り立たせている非常に脆弱なシステムであって、柔らかいシステムであるわけです。

 

アリの巣に水を入れると容易にアリ社会が崩壊するようなものです。

 

ですが、ひとりひとりが自立性を持てば、各所で自立して、社会の起点が出来ます。

 

自立性が発展して社会が形成され、成立するわけです。社会は基本的に自立的ですが、その自立性を支えているには、自立的な人間です。

 

社会は柔らかいが、変化に強く、多様で重層的構造は望ましいわけです。その意味では、社会を構成する多様な各所の単位は、どれも自立性を備えているわけです。

 

その意味で、人間は、基本的には、自律性を備えるとともに、自立性も備えている事が望ましいわけです。

 

家族も、学校も、会社も、役所も、地域も、病院も、国も、自立性を備えた社会のパーツですが、その中身は、自律的な人間であり、同時に、自立的な人間であるわけです。

 

どのような状況でも、自立性を求められるわけです。社会を構成する各パーツや社会全体も常に硬直化すると死に絶えるわけですから、自律性とともに自立しようとする試みによって、いつだって社会は保たれ、社会は再建されるわけです。

 

社会は常に安定が望まれますが、いつだって暫定的で、でも、柔軟で、変化に耐え、補われ、それも、人間の自律性によるものであり、自立性によるものであるわけで、そもそもは、人間は自律的で自立的が望ましいという事です。