人間は色んな事を想像しますが、考えてみると、想像するという事自体不思議であって、凄い事だと感じます。
想像するというのは、視覚的にはイメージする事であって、自ら能動的に何らかのイメージとしての像を頭の中に作り出すわけです。人間にはそのような事が出来るわけです。
過去に経験した事を記憶して、その過去の記憶を頭の中から引っ張り出して、改めて頭の中で想像できるわけです。完全に同じものかどうかはさておき、過去のイメージを作り出すわけです。
想像するとは、頭の中で何かしらを創造するという事です。手で触れるものとしての創造ではありませんが、何らかのイメージを創造するという事です。
その意味で、想像する事は頻繁にやっていて、想像しない日はありません。何かしらふと思い出すと、それに伴って、何らかの像を想像するわけです。
目をはじめとして、自分たちの持つ感覚器官を使って、リアルタイムに何かしらを知覚するわけですが、これによって確かに、目の前の事を認識しています。
ですが、目の前に広がる視界とは別に、自ら自分の内部で想像するわけです。外部の知覚無しに想像するわけです。
さらに言えば、目の前に広がる視界をはじめとした知覚のみでこの世界を捉えているかというと、そんな事はなく、大部分は想像する事で捉えているわけです。
視界としての目の前の世界は、確かに目による知覚で捉えていますが、自分たちが対峙している世界は、目による知覚だけでは当然なく、ほとんどは想像するものから成り立っているわけです。
例えば、国というものひとつとっても、知覚によってとらえているのではなく、想像によって捉えているわけです。想像によって構築しているとも言えるわけです。
ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」も、人間の想像する力によるものです。
人間は、国をはじめとして、あらゆる概念を扱っていますから、それらは、明らかに想像によって捉えており、その捉え方、構築の仕方は、人によって様々なわけです。
国というものに対する認識は、人によって全然違うものであり、きっと、同じものはひとつとありません。
人は常に、何かを想像しながら世界を捉え、世界を認識し、世界を構築し、その想像する世界の中を生きていると言っていいわけです。
人間のリアルの生は、まさにこの想像する世界の中にあって、自ら想像して創造した世界の中を生きているわけです。自ら創造したその世界無しに、人は生きる事はできません。