毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分がどのように生きていきたいのか。自分の感情をただ感じる。

適応する生き方を身につけ、それで今生きる事が実現できていながら、一方で、自分が真にどのように生きたいのか、分からなくなっている事ってあると思います。

 

そもそも、自分の生きたい生き方がどのようなものかなんて、分かろうとしても分かるようなものではないわけで、分かるなら、すぐにでもそのような生き方をするのですが、分からないから仕方なく現状維持のまま生きているわけです。

 

確かに、何でもすっきり解決して、思い通りに生きていけるというものでもないので、今何とか生きていけているなら、それはそれとしてそのようにして生きていくしかない側面はあり、それでも、やはり、自分自身と対話をして、辛抱強く自分がどのように生きていきたいのか、知る努力が必要なわけです。

 

自分がどのように生きたいかという事について、言語化できるととても分かりやすいのですが、言語化できればすぐにその事に手を打てるわけで、言語化は、すぐにはできないわけです。

 

ですが、感情は、自分は本当はそのように生きたくない、という事をいつも訴えてはいるわけで、自分の感情といかに上手に交流するか、そういう事が大切であるわけです。

 

感情と交流、と言っても、それもそんなに簡単な事ではないから、自分の感情に対して、出来るだけ耳を傾けて聴いてあげる事が重要になるわけですが、聴いても容易には分からないわけです。

 

ですから、まずは、自分の感情をただ感じるということから始めないといけないわけです。

 

感じた感情について、早まってそれを解釈して言語化しようとしても、それを正しく言葉に表せない事は多いですから、辛抱強く、ただ感情を感じるという事が大切であるわけです。

 

無理やり、感情を言葉に変換して表そうとするのではなく、感情をただ感じる、この事に時間やコストをかけるんです。

 

そこに、何か解釈や理解をしようとしなくていいんです。まずは、感じる事です。

 

人間の理解というものは、言語化するのとは違う理解というものがあり、まずは感情をちゃんと感じる、深く感じる、感情と共鳴する、そういうプロセスがとても重要なんです。

 

感情はネガティブなものは感じるとつらいですから、すぐに回避したいし、すぐに解消したいし、消し去ってしまいたいわけです。

 

ですが、それでは、感情を無視し、蔑ろにするも同然であるわけですから、そんな事を急いでやろうとせずに、ただ感じる、辛抱強く感じる、そういう事が重要であるわけです。

 

これまで、きっと、人生のほとんどの局面で、自分の感情を回避し、蔑ろにしてきた可能性があります。想像以上に無視してきた可能性があります。

 

ですが、そうではなく、感情をただ感じるんです。理解しようとか解釈しようとか、そんな事は置いておいて、ただ感じる事に努めるんです。