人は快適で、心地良いのが好きであるのですが、それだったら、別に人がいなくてもそういう環境はあるわけです。ですが、人が居る所がやはり好きなのです。
人がいないところも、確かに人は好きではあり、自然とか森とか田舎の人の居ないところとか、静かで落ち着けるところは大好きではあるわけです。
とは言え、これほどまでに喫茶店が世の中にあって、これほどまでに人がいっぱい来ている所を見ると、ただ何も無くて心地良ければいいというわけではないわけです。
喫茶店の店員さんは、オーダーをとってくれたり、レジで精算をしてくれたり、コーヒーをテーブルに持ってきてくれたりするわけですが、何故か人はちょっとした関わりをまるで求めているようです。
あるいは、ただ、喫茶店に行って、店員がそこに居ればそれでよくて、それで何かの役割を果たしてくれているのかもしれません。
人は、他人からの配慮を求めているわけです。敬意をもって接してもらいたいわけです。尊重してもらいたいわけです。
逆に言えば、他人から配慮をされないのが嫌なわけで、敬意を欠いた接し方をされるのは嫌なわけで、尊重されないのも嫌なわけです。
安心も求めているし、安全も求めているんです。喫茶店は、確かに、環境要因として、そういったものがあるような気がします。ただ人がそこに居るだけで、安心感や安全感があります。
ひょっとすると、喫茶店に居て、何もされなくてもいいのかもしれません。ただそこに誰かが、でも、安心感をもたらして、安全感を確保してくれるなら、それで十分なのかもしれません。
確かに、そういうサービスですから、むしろそのサービスを求めて、喫茶店に行っているとも言えるわけです。
人から気遣いを求めているし、優しさを求めているわけです。確かに、普段の生活では、そんなに気遣いや優しさは、無条件ではもたらされません。
自然や森に居ても、心地良いですが、人ほどの気遣いや優しさはありません。
人は確かに、心地良くて、快適で、静かで、落ち着ける場所が好きで、そのような時間を過ごしたいわけですが、それだけではありません。
人からの何かを求めているわけです。
人の配慮や敬意、尊重を求めているんです。人からの安心感や安全感を求めているんです。そして、気遣いや優しさを求めているんです。
だから、特にそこに人がいるだけで良いんです。環境要因として、人がただ居るという空間を求めているんです。そこで人は、時間を感じるんです。