人間の適応力は強力で、生存戦略として、発達していく中ですぐにその力を発揮します。適応する事で生きていく事を可能にし、さらなる適応の連続によって自分自身をより強固に発達させていきます。
ですが、この適応は、自分を自由にするというわけではありません。生存戦略としては重要な意味があるのですが、だから、自由であるとか、自分らしいとか、そういった事とは関係がありません。
ただ、その生き方は、確かに自分をこれまで生存させてきたし、周りの人たちとも確かな関係を築いてきたし、今の立ち位置も確かにあるわけです。
人は自分一人では決して生きていけませんから、人間関係のネットワークの中で、確かに安定して生きていく事が出来るわけです。
ですが、そのおかげで、というか、その代償として、自分を周囲に適応させてきた結果、あまりに合わせ過ぎて、周りの期待する自分を演じてしまうわけです。
過剰に役割を演じたり、勝手に先回って周りの期待に応えようとしたりし過ぎて、その結果、演じる自分がまるで自分のようになり、主体的な自分が見失われてしまうわけです。
一方で、自由を求める自分もいますから、自分の中で、自分らしい自分と、周りに合わせて演じている自分とのジレンマに陥ります。
ですから、周りの人たちの期待を勝手に想像して先回ってしまう癖、「先回りの癖」を止める事がとても重要になります。
ですが、長年先回りの癖によって、適応させて生きていたわけですから、それも強固な自分であり、それを止める事は容易な事ではありません。
もちろん、すぐには、先回りの癖を止める事はできません。
ですが、先回りの癖に気付く事は出来るかもしれません。ひとつひとつ、人とのやり取りの度に、その事に気付くようにして、本当に自分は周囲にそのように期待されているのか、確認していくわけです。そして、そうではない事を確認するんです。
気付くだけで、かなりの進歩です。
今まで無意識に、条件反射的に適応していた自分が、その事に気付く事で、そこに自由が生まれるわけです。
本当は、我慢する必要もないし、抑圧する必要もないわけです。意識的には、我慢もしていないし、抑圧もしていないかもしれませんが、無意識には、我慢し、抑圧しているわけです。
ですから、そういった事に、ひとつひとつ気付いていくんです。
それだけで、先回りの癖は癖ではなくなり、無意識の我慢や抑圧は、意識的にその必要が無い事に気付くようになるわけです。そして、不自由な自分が、自由で良い事に気付くようになるのです。