毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分のやりたい事は、やりたかった事だと過去の事として発見される。

自分のやりたい事は一体何なのか。自分のやりたい事なんだから、それは自分にしか分からないわけで、そんなものは最初から自分で考えて、それをやってみる。ただそれだけの事。

 

と言いながら、そのような戦略で、一体どれだけの自分のやりたいことが見つかるのか。出会えるのか。

 

自分の頭で考えて、自分のやりたい事はこれだと言って、それをやり始める。それでうまくいくんだったら、自分のやりたい事は何か、という事で、人はそんなに悩まないわけです。

 

ですが、意外と、人はこの事で悩んでいるわけです。

 

一体、自分は何がやりたいんだと。

 

だから、人は色んな事に手を出すわけです。やりたい事かどうか分からないけど、とりあえず、手を付けてみるわけです。

 

確かに、それがやりたい事かどうか判断できるのは自分ではあるのですが、それをやる前から分からないわけです。

 

やってみて、体験してみて、その後に振り返って、「これが自分のやりたかった事だ」と分かるわけです。

 

その意味で、自分のやりたい事は、実際には、やりたかった事だと過去の事として認識され、発見される事は多いわけです。

 

その意味で、色んな事をやってみたり、小さな仕掛けめいたことをやってみたり、ちょっとした事を試したり、種まきをしたりするわけです。

 

それがどのような芽を出し、開花するかは、種をまいてみたいと分からないわけです。

 

自分の事なのに、後になってみないと、分からないわけです。

 

そして、それがどんな花を開花させるかも、開花させてみないと分からないわけです。開花した後に、自分はそんな花を開花させたかったと、過去の事として知るわけです。

 

同様に、それが、どんなプロセスで、花を開花させるのかも分からないわけです。花が開花した後に、そのようなプロセスで、そのような経緯で、また、そのような方法で、そのようなアプローチで開花する、という事が分かるわけです。

 

要は、後になって分かる、という事です。

 

自分の事にも関わらず分からないわけで、後になって自分の事は分かるわけです。

 

ですから、思いついたことに、とにかく手を付けてみるわけです。幾つも手を付けて、色んな方法で、色んなアプローチを試してみるわけです。一体どんなプロセスで、どんな花を開花させるか、全く分かりませんから。

 

自分が何がやりたいのか、そんな事は分かりません。やってもいないのに分かりません。ちょっとやってみても分かりません。やってみて、それがやりたかったかどうか、後になって分かります。

 

やりたい事ではない事がほとんどかもしれませんが、そのうちのどれかが自分のやりたかった事だったりするわけです。