自分のやりたい事は一体何なのか。自分のやりたい事なんだから、それは自分にしか分からないわけで、そんなものは最初から自分で考えて、それをやってみる。ただそれだけの事。
と言いながら、そのような戦略で、一体どれだけの自分のやりたいことが見つかるのか。出会えるのか。
自分の頭で考えて、自分のやりたい事はこれだと言って、それをやり始める。それでうまくいくんだったら、自分のやりたい事は何か、という事で、人はそんなに悩まないわけです。
ですが、意外と、人はこの事で悩んでいるわけです。
一体、自分は何がやりたいんだと。
だから、人は色んな事に手を出すわけです。やりたい事かどうか分からないけど、とりあえず、手を付けてみるわけです。
確かに、それがやりたい事かどうか判断できるのは自分ではあるのですが、それをやる前から分からないわけです。
やってみて、体験してみて、その後に振り返って、「これが自分のやりたかった事だ」と分かるわけです。
その意味で、自分のやりたい事は、実際には、やりたかった事だと過去の事として認識され、発見される事は多いわけです。
その意味で、色んな事をやってみたり、小さな仕掛けめいたことをやってみたり、ちょっとした事を試したり、種まきをしたりするわけです。
それがどのような芽を出し、開花するかは、種をまいてみたいと分からないわけです。
自分の事なのに、後になってみないと、分からないわけです。
そして、それがどんな花を開花させるかも、開花させてみないと分からないわけです。開花した後に、自分はそんな花を開花させたかったと、過去の事として知るわけです。
同様に、それが、どんなプロセスで、花を開花させるのかも分からないわけです。花が開花した後に、そのようなプロセスで、そのような経緯で、また、そのような方法で、そのようなアプローチで開花する、という事が分かるわけです。
要は、後になって分かる、という事です。
自分の事にも関わらず分からないわけで、後になって自分の事は分かるわけです。
ですから、思いついたことに、とにかく手を付けてみるわけです。幾つも手を付けて、色んな方法で、色んなアプローチを試してみるわけです。一体どんなプロセスで、どんな花を開花させるか、全く分かりませんから。
自分が何がやりたいのか、そんな事は分かりません。やってもいないのに分かりません。ちょっとやってみても分かりません。やってみて、それがやりたかったかどうか、後になって分かります。
やりたい事ではない事がほとんどかもしれませんが、そのうちのどれかが自分のやりたかった事だったりするわけです。