自分が日々やっている事は、全て自分がやりたいと思ってやっているわけではありません。
これまでの経緯があって今それをやっているのであって、そういう流れの上でやっているわけです。
あるいは、それが必要だからやっているのであって、今まさに必要だと思ってやっているかというとすべてそういうわけでもなくて、以前に必要だと思ったからであって、そういう予定を以前に立てたから今やっているわけです。
何でもすべて、自分がやりたいから、今やりたいからやっているわけではないんです。
そして、今やりたいと思った事があっても、それをすぐに取り組むかというと案外そうでもなくて、今日でもなく、明日以降にそれをやる予定だったりするわけです。
日々やる事はすでに決まっていたり、やる予定にしていたりして、やりたい事は今すぐやるわけではなかったりするわけです。
そのようにして、昨日までの経緯があって今日があり、今日までの経緯が明日を準備するわけです。
それもやりたい事ばかりではなく、むしろ、やりたい事はそんなにできていなくて、日々の大半は必要だからやっていたりして、やりたい事を今やっている事は少ないわけです。
また、今やりたいと思って計画しても、それを明日やりたいと思うとは限らないし、むしろやりたくなかったりするわけです。ですが、すでに予定を立ててしまっていたりして、今それをすでにやりたくはないが、やらざるを得なかったりするわけです。
やりたい事があろうがなかろうが、やる必要があろうがなかろうが、何らかの経緯で、何らかの理由で、また、何らかの偶然や気まぐれで、日々何かをやっているわけです。
そう言いながらも、振り返って、それをやっていてよかったと思う事もあるし、やらなければよかったと思う事もあるわけです。
でも、そのようにして、日々自分は何かをやっていて、それで自分自身が積み上がっていて、積み上げてきたものの上に自分は居て、また、自分が形成され、そのような自分として今があって、今の生活があって、今やる事をやっているわけです。
そのような事の連続性の上に、自分自身は確かに居て、それは自分が望んでいたものとは違ったとしても、それでも、その上に居るし、明日はその上とは違う望んでいるものの上に居るかもしれないし、でも、やっぱり今の延長線上に居るかもしれません。
そんな不確か日々を送りながら、それでも自分をかじ取りして、昨日までの流れの上にいて、今何とかそれをやって、そして、明日につないでいるわけです。