毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

お金は、手段であり、媒体であり、その事で世の中は回っている。

お金は、色んな事の為のツールです。お金は目的ではなく、あくまで手段です。

 

仕事は、お金を得るために仕事をしている様であって、実際には、人が仕事をするためにお金が人に支払われているのであって、あくまで、仕事が為されるためです。

 

お金は貯めて置けばいつでも使えるし、色んなものをお金で得る事が出来るから、そ為にお金は持っているわけですが、それはあくまで、何かを得るためにであって、その為の手段です。お金を貯める事は目的ではなく、手段であるわけです。

 

また、お金は投資にも使われるわけですが、これはお金が投資された事で新たな市場や事業が生まれるからであって、その為にお金が投資されるわけです。新市場、新事業の目的のためにお金が手段として使われているわけです。

 

何かをお金を使って買う時、お金は手段として使われるわけですが、その商品はその事によって利益をもたらすとともに、その利益のおかげで、その商品はまた生産される事ができるようになります。その生産の裏には、生産者がいて、雇用されている人がいるわけです。その意味で、そのお金は、その雇用されている人が雇用を維持する為に支払われているのであって、つまり、雇用のための手段としてお金は使われているわけです。

 

同様に、野球を見る為にお金を払って球場に行って応援するのは、野球という市場を維持する為であって、野球選手の雇用の為であるわけです。

 

その意味で、野球観戦であれ、映画を見に行くであれ、ピアノコンサートに行くであれ、それらのプレイヤーや働いている人たちを応援し、雇用を維持する為にお金は手段として使われているわけで、どのような事にお金を使うかは、自分の利益の為だけではなく、他の人の為でもあるわけです。

 

世の中には、為されるべき仕事はたくさんあって、為されるべきたくさんの事のおかげで世の中は回っているわけで、それらは必ず誰かがやっているわけですから、それらが誰かにちゃんと為されるために、お金は使われるべきです。

 

お金は使われる事に意味があって、何か有用な事が為されるための手段としてお金は使われるべきであって、結局それらがやるのは自分たちの誰かであって、自分たちの誰かがそれをやるために、お金は使われるべきであるわけです。

 

いつだって、お金自体が目的である事はなく、あくまで媒体であって、あくまで手段であるわけです。

 

結局、世の中が回っているのは、自分たちの誰かがやっている事のトータルによるのであって、ただお金はその間で飛び交っているだけであって、人々の活動をただ円滑にしているのであって、手段に過ぎない、という事です。