人間には知能がありますが、知能と言うだけであれば、人間に限らず、他の動物にもあります。何らかの情報を元に自らの目的のために何かをする、そういう意味では、動物一般に限らず、植物でもやっています。
もちろん、知能のレベルは違うわけですが、それでも、知能は知能であって何らかの情報に基づいて決定して実行する事は、人間でなくても生き物全般やっているわけです。
また、人間である事の別の因子として、意識があります。
意識は、何か体験した事を感じる事が出来る性質があって、上の知能とは違います。感じる事を通して体験するというのが意識で、意識があってはじめて人間は人間でいられるわけです。
知能はあっても、その行為する主体が、何かやった事を体験できていなければ、意識があるとは言えないわけです。一方で、知能自体は意識が無くてもその性質は発揮されるわけです。
もちろん、人間として、知能を発揮する事が重要である事には変わりは無いのですが、ただ、それだけでは、昨今の人工知能と変わらないわけで、近い将来出現するかもしれない人工知能を搭載したロボットとも変わらないわけです。
意識の存在が、人間にとって重要であるわけです。
そう言えるのは、科学やテクノロジーの発展によって知能と呼べるものが実現できつつあるからであって、人間をはじめとして動物や植物が進化して発達させて身につけてきた知能は、もはや生き物だけのものではなくなってきているからです。
一方で、知能というものが実現しつつある状況から、単なる知能とは異なって、意識というものが、人間という性質の重要な因子として浮き彫りになってきているとも言えます。
上に言ったように、意識は感じる事を通して体験するという事を実現しているのであって、この性質が、ただ知能が何かを選んで決める、という事を、より高度に、あるいは、より繊細にコントロールしているものだと考えられるわけです。
知能だけであれば、人を殺す、という命令があればそれにしたがって人を殺す、わけですが、感情を通して体験する意識が、その命令に対して、何かを感じ、本当に殺すのかどうかを考え決める、そして、殺さない、という事も決める、そういう事が人間には可能であるわけです。
人間の感じる性質は、喜びをもたらす一方、傷みや苦しみをもたらすものでありますが、その性質は知能より高度であり、感じる事を体験する意識が、人間である為には重要であると感じられます。